関ジャニ∞が「関ジャニ∞」になるまで。

関ジャニ∞の聖地 大阪+東京100スポット!

関ジャニ∞のことをあまり知らない方は、何であの7人になったんだろう?と疑問に思われるハズです。なので、今回は、関ジャニ∞の結成までの経緯について書いていこうと思います。

1996年の9月22日、大阪で行われたジャニーズJr.のオーディションに渋谷さん(当時15歳)、丸山さん(当時13歳)が参加しました。その後すぐに雑誌の取材と撮影を受け、ジャニーズJr.としての一歩を踏み出しました。丸山さんは、その日以降何の音沙汰もなく、同じオーディションに参加していた人がTVに出ていたりしたので、自分は落ちたんだと思って落ち込んでいたら、お父さんに「もう一回行けんのちゃう?」と言われ、もう一度オーディションを受けることになります。そして、同じ年の12月25日、大阪城ホールで行われていたKinKi Kidsのコンサートでもう一度オーディションがあり、この時に渋谷さんは、横山さん(当時15歳)、村上さん(当時14歳)と初めて出会いました。

横山さんは、すぐに先輩たち(1995年入所組)と一緒に「Kanjani Knight」という自分たちの冠番組に出たり、1997年~1998年まで京都シアター1200(現:京都劇場)で行われていた「KYO TO KYO」と言う舞台では、先輩たちと同じ列で踊っていたりして、当時から別格扱いでした。渋谷さんと村上さんは、その次のいわゆる「二番手」扱いでした。「Kanjani~」にも先輩たちが舞台で出演できない時の代役として、やっと出演できたくらいでした。

1997年9月6日には、安田さん(当時13歳)、丸山さん(2回目/当時14歳)、錦戸さん(当時12歳)、大倉さん(当時11歳)が合格し、事務所に入所しています。そんな中でも、7人は舞台で地道に経験を積み、1998年6月「Music Station」に大倉さん以外のメンバーは「関西ジャニーズJr.」として初めて出演します。(大倉さんは、京都での舞台組でした。)きっとこれも先輩たちの代役だったのかも知れません。先輩たちは、毎日、「京都で」舞台があるので、京都を離れられず、スケジュールの空いていた、横山さんたちが呼ばれたんだと思います。そこで関西Jr.は、渋谷さんのソロ曲で、「KYO~」で歌っていた「愛してる愛してない」を全国ネットで初披露します。それがきっかけになり、人気が急上昇しました。これで一気に先輩たちを人気で追い抜きます。その年の11月に、1995年入所組の先輩たちが事務所を辞め、2番手だった横山さんたちが先頭に立って、関西Jr.を引っ張っていくことになりました。

翌年(1999年)から東京での仕事も増え、当時、東京のJr.のトップだった滝沢秀明さんと肩を並べるくらいの人気が出て、「東のタッキー(滝沢秀明)、西のすばる」と称されるまでになりました。渋谷さんを切り込み隊長として、他の横山さんたちも人気が出て、「Jr.黄金期」が始まりました。渋谷さんは、二宮さん(現在嵐)とW主演でドラマにも出演したり、そのドラマの主題歌だったV6の「Believe Your Smile」を渋谷さんがソロで歌ったりしていました。レギュラーで出演していた音楽番組では、ソロのオリジナル曲を何曲も歌っていました。

ですが、「関西Jr.として」その黄金期を支えていたのは、大倉さん「以外」の6人です。大倉さんは、安田さんたちとは同期ですが、「扱い」はまだその当時は「その他大勢」でした。この年にようやく内さん(内博貴・当時13歳)がオーディションに合格し、事務所に入所します。内さんは、めきめきと頭角を表し、2001年に先輩である安田さん、丸山さん、水野清仁さん(現在は退所しています。)、今山透さん(現在は、退所しています。)と「ⅤWEST」(ファイブウエスト)というバンドを組んで、ボーカルを担当していました。内さんは、人懐っこく、甘え上手の性格で先輩たち(横山さんたち)にも可愛がられ、関西Jr.の主要メンバーとなっていきます。

飛ぶ鳥を落とす勢いだった「Jr.黄金期」でしたが、1999年後半~2000年頃になり、それにも陰りが見えてきます。渋谷さんは、二宮さんと出演していたドラマの終了後に上京して、一人暮らしを始めるのですが、一人の時間が増えて、将来について思い悩み、「仕事を控えたい。」と自ら事務所に願い出て、表舞台から姿を消し、大阪に戻ってしまいました。横山さんは、それでも細々とではありましたが、Jr.としての活動はしていました。しかし、思うように売れず、彼も大阪に帰ってしまいます。これが「関ジャニ冬の時代」です。

一方、大阪では安田さんたちⅤWESTが(関西地区限定ですが)冠番組を持つまでになっていました。横山さんたち年上組は、時々ゲストとしてそれに出演する程度になってしまい、世間では「辞めた」と思われるようになってしまいます。そして2002年夏、事務所は「ANOTHER」という舞台を大阪の松竹座(1000席)で1か月間上演する試練を彼らに与えます。当時の振り付けの先生は、年上3人を集めて、「ここで頑張らなかったら、関ジャニ終わりだよ。」と発破をかけていました。満席には出来なかったものの、この舞台を彼らは無事やり遂げることができました。そこで何か手ごたえを感じた事務所は、また次の試練、「12月の松竹座のクリスマスコンサートを成功させること。」を与えます。10月にはそれまで年下組だけでやっていたレギュラー番組を、年上組を加えた7人の番組としてリニューアルさせ、7人としての結束を高めました。

安田さんと、丸山さんが「大倉はリズム感がある。」とジャニーさんに伝えたところ、それまでやったことのなかったドラムに抜擢され、1か月間猛特訓をしました。その後合格をもらい、その後関西Jr.の主要メンバーを増やすときに一番最後のメンバーとして、(横山さんたちと)合流しました。12月にコンサートを控えていたので、正式なユニット名を付けて欲しいと村上さんがジャニーさんに直訴します。それで、当時レギュラーで出演していた番組が放送されていたチャンネルが「8」だったのと、メンバーが「8人」だったので「関ジャニ8」となりました。そして12月、「関ジャニ8」として初めてのコンサートを行います。そこから2006年まで毎年夏と冬に舞台とコンサートを行うようになります。

そして、2004年8月25日、「浪花いろは節」で関西地区限定CDデビューが決まりました。それに合わせて、ユニット名も「関ジャニ8」から「関ジャニ∞」へと変わります。

ここで湧く疑問が「何で8人だったのに、今は7人なの?」と言うことだと思います。上記のとおり、デビューした時は、8人だったんです。デビュー当時は、横山さん(当時23歳)、渋谷さん(当時23歳)、村上さん(当時22歳)、丸山さん(当時19歳)、安田さん(当時19歳)、大倉さん(当時18歳)、そして内博貴さん(当時17歳)の8人体制でした。それが、デビューの翌年(2005年)、内さんが(当時はまだ18歳だったのに)お酒を飲んで、公園で暴れて、警察に補導されてしまったことが大きく報道されてしまい、芸能活動を無期限自粛という処分を受けてしまいました。2006年末には「研修生」として、芸能活動を再開するのですが、関ジャニ∞(とNEWS)からは事実上の「脱退」ということになってしまったのです。なので「7人だけど『関ジャニ∞』」となってしまったのです。

渋谷さんたち年上組は、来年で事務所に入って20年!これからどんな活躍をするのか楽しみです。