昔、ヴァンがあった

2017年10月28日

昭和20年代の後半から30年代のはじめの日本では洋服といえば既製服はまだまだ少なく、女性の場合には洋裁学校(ドレスメーキング、ドレメなどとも呼ばれた)に通い、自らミシンを使用してブラウスやワンピースを作り、男性の場合にはスーツやワイシャツは洋服屋で採寸し、仕立ててもらう、そして小物類はデパート(百貨店と呼んでおりました)にて購入するというのが、専門店がほとんどなかった当時の一般的な洋服の揃え方でした。むしろかなり贅沢な感じもしますね。

昭和30年代も半ばに入ると人々の暮らしぶりにも多少の余裕が生まれ、ハリウッド映画や輸入雑誌を通じて海外のファッションが紹介されます。デパートにもぼちぼちと輸入品のセーターやスラックスなどが並ぶようになります。

しかし、特に困ったのが大学生を中心とした若い男性の服装が依然として黒い詰襟、つまり学生服しかないという事でした。少し背伸びをした男の子はスーツを着るというのがせいぜいの状態でした。

そんな、若者のファッションとは何を着れば良いのか暗中模索の中、ヴァンジャケットがボタンダウンシャツを中心とした米国大学生のファッションとライフスタイルを提供します。以後、昭和53年にヴァンジャケットが倒産するまで、日本のメンズファッションにおけるヴァンジャケットの影響力と功績については語るまでもないと思います。

では、なぜこれほどヴァンジャケットが若者に受け入れられたのか?それはヴァンジャケットが「ダイレクトマーケティング」をいち早く取り入れた事と、日本人の国民性に受け入れられた事にあると思います。

すなわち、ヴァンは問屋や百貨店を通さず、雑誌を媒体として直接読者に商品を紹介しました。そして、口コミを含めた読者の反響に対して直営店である「ヴァンショップ」をオープンさせて誘導しました。

この手法は今でこそ当然のように行われていますが、当時ヴァンショップは店舗の内装から、いわばヴァンのテーマパークです。店員さんもヴァンの商品に身を固め、お客は店員さんのファッションを見本にして商品を買います。

「洋服屋」の店内で、常連さんはカウンターでコーヒーが飲めるなど当時はあり得ない事でした。そのコーヒーカップにヴァンのロゴ、商品包装用のテープもロゴ入り、店員さんが使う事務用品のほぼ全てにロゴ入りという念の入れようです。

ディズニーランドの園内でなければ手に入らないお土産と同じ感覚で、ヴァンショップでなければ手に入らないという優越性と希少性とが大いに人気を呼んだのも当然だったと思います。

そしてもうひとつ、例えばボタンダウンシャツ1枚にしても、縫い方やディテールに細かい工夫が施されているのですが、これらを「本物のボタンダウンシャツのディテールはこうでなければならない」という、まるで道徳の教科書よろしく約束事としてアピールしたことにあります。

ボタンダウンシャツの本家である「ブルックスブラザーズ」の商品が直接手に入る現代では考えられませんが、当時何も知らなかった日本人にはたまらなく新鮮に受け止められました。

ボタンダウンシャツ以外でもブレザー、スラックス、スーツのすべてにおいて主張した「〜でなければならない」という窮屈な決め付けが、日本人が好きな「規則正しさ」「お上(ヴァン)の言うことなら間違いない」という国民性に受け入れられたのです。

こうして日本の若者がヴァンが提唱するアイビー、トラッドの洗礼を受けたまま大人になり、本家の米国とは異なる独自のファッションとして現代に受け継がれることになるのです。ヴァンの倒産に至る経緯についてはまたご紹介出来るかと思います。

余談ですが、本場米国で「アイビーファッション」「トラッドファッション」と言っても全く通じません、念のため(笑)