若鷹軍団Hawksの軌跡~福岡ダイエーホークスの誕生

2017年10月28日

福岡ダイエーホークス2003

早々とリーグ優勝を決めてしまった福岡ソフトバンクホークス。その強さは12球団で群を抜いていますね。更には2軍もウエスタンリーグで4連覇を達成しました。

そんなホークスも、1989年に福岡に移転した当初は弱小球団でした。その弱小球団が常勝球団に変貌していく過程を、球団の歩みや監督を始めとした首脳陣や選手たちの移り変わりを紹介しながら振り返ってみたいと思います。

福岡ダイエーホークスの発足

1988年のシーズンオフに、大手スーパーを全国に展開するダイエーが南海ホークスを買収し、福岡を本拠地とする福岡ダイエーホークスが誕生しました。

何故ダイエーは福岡の地を選んだのか?・・・それは、ダイエーがアジアへの進出を視野に入れた福岡の再開発事業の目玉としたかったからだと言われています。そして、かつて西鉄ライオンズが存在していて野球人気が高かったことや、地元球団を望む声が多かったことも有るしょうね。また、東京や関西だけでなく、日本の各地にプロ野球の球団を分散させた方が良いという考えや、西鉄ライオンズのOB達が誘致に動いていたことも大きかったのではないでしょうか・・・。

ダイエーは球団の買収に伴い、ドーム球場とホテルや商業施設を建設する構想を打ち立て、球団経営を積極的に推し進めました。監督には、南海ホークスの時の監督である杉浦忠をそのまま起用しました。それは、南海側からの条件が、「ホークスという名前を残すこと」と「杉浦忠の監督としての留任」の二つだったからです。

10年振りの地元球団に市民は

その後、シンボルマークや球団旗、ユニフォームの発表が有り、年が明けた1989年にはホテルで新生ホークスの結団式などが有りました。

かつては西鉄ライオンズのライバルだったホークスを、九州の人たちが受け入れてくれるかどうか心配されていましたが、10年振りの地元球団の発足ですから一応は歓迎されたと思います。しかし私が思うに、一部の野球ファンの間では盛り上がったと思いますが、一般の市民は関心が薄かったのではないでしょうか。

九州の人間には、監督の杉浦忠はあまり知名度が有りませんでしたし、選手たちにしてみても知っている選手は少なかったからですね。西鉄ライオンズが去って以来、プロ野球中継と言えば巨人戦が中心でしたので、巨人ファンか古くからのライオンズファンで、そのまま西武ライオンズを応援している人が多かったと思います。実際に対西武戦では、西武を応援する観客の方が多かったですからね。

私もずっと巨人ファンでしたので、正直言って当時はあまり関心が有りませんでした。また、当時の南海ホークスは、名捕手であり監督も経験した野村克也が抜けてから思うような成績をあげられず、5位や6位に低迷していましたので、あまり期待していなかったのではないでしょうか。でも、その年のシーズンは何とか頑張って、59勝64敗で4位に食い込みました。そしてシーズン終了後に、球団は田淵幸一の監督就任を発表しました。