若鷹軍団Hawksの軌跡~田淵監督で臨んだ三年間

2017年10月26日

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田淵新体制で挑んだ1990年

田淵幸一の監督としての入団は、知名度を優先したのではないかと思います。引退後に監督やコーチの経験が無いのに監督を要請したのは、人気の面を考慮したのではないでしょうか。また、前西武球団代表の坂井保之を球団本部長として招へいし、西武時代に田淵と同僚だった黒田正宏と太田卓司を、ヘッドコーチと打撃コーチとして入閣させました。選手としては、近鉄の捕手として活躍した有田修三選手を獲得しました。

一方、この年のドラフトで、野茂英雄を指名しましたが抽選でハズレ、代わりにその後巨人に入団した元木大介を指名しましたが断られました。

田淵幸一を監督とする新体制で挑んだ1990年は、41勝85敗という断トツの最下位に終わりました。チーム打率や本塁打数、失点や防御率なども全てリーグ最下位で、勝率は球団のワースト記録を更新するなど散々なシーズンでした。

田淵監督の三年間と根本陸夫の入団

田淵監督2年目は積極的にトレードを行い、阪神から現在野球解説者である池田親興投手を獲得し、オリックスから完全試合男である今井雄太郎投手を、日本ハムからは後にコーチとして活躍する島田誠選手を獲得しました。

更には、オリックスからホームランバッターの門田博光選手が三年ぶりに復帰。ドラフトで後に阪神で活躍する下柳剛投手、後に盗塁王となる村松有人選手が入団しました。シーズン中は池田投手が抑えに転向、田淵監督も「池田が抑える勝パターンを必ず作る」と言ったり、チーム盗塁数ではリーグトップになったりと頑張りましたが、結局53勝73敗の5位に終わりました。

年が明けて1992年のシーズンは、ドラフトで獲得した若さまこと若田部健一投手や、現在RKB毎日放送で野球解説をしている浜名千広選手、更には阪急やオリックスで活躍し、三冠王を獲得したこともあるブーマー・ウェルズ選手を獲得して臨みました。若田部投手が二桁勝利をあげましたが貯金は作れず、トレードで獲得した選手も高齢な選手が多かったりで、57勝72敗の4位で終わりました。

こうして期待されて入団した田淵監督でしたが、三年間とういう期間では納得する結果をあげられずに、福岡ドームのオープンを待たずに退団しました。球団は田淵の代わりとして、広島や西武で監督経験のある根本陸夫の入団を発表しました。

この1992年で、今まで使用してきた平和台球場での試合は終わり、1993年からは根本新体制のもと、福岡ドームという巨大な球場での戦いが始まります。