若鷹軍団Hawksの軌跡~鷹はついに大空高く羽ばたいた

2017年10月28日

9.25 優勝ドキュメント 鷹戦士頂点へ ― 生中継・優勝を決めた日 [VHS]

勝利の方程式の確立

王監督になって5年目の1999年のシーズン。昨年の1998年にオリックスと同率3位ながら、初めてAクラスに入ったので周りは期待していましたが、評論家たちの評価は低かったですね。というのも、昨年最多勝を獲得した武田投手がFAで中日に移籍してしまい、投手陣に不安が有ったためです。

でも投手コーチに尾花高夫を迎えた事が功を奏したのか、1997年のドラフトで獲得した永井智浩や星野順治が台頭し、そして同じドラフト組の左腕篠原貴行が、中継ぎ登板だけで14連勝を記録するなどの不敗神話を作り大活躍しました。

また同じ中継ぎで、31歳という若さで亡くなった藤井将雄や左腕の吉田修二らも頑張り、この年に入団した外国人のペドラザが抑え投手として活躍する嬉しい誤算も有りました。特にペドラザは「球持ちの良さだけで活躍している」とある解説者が言っていた通り、確かに凄く速い球を投げるわけでもないのに打たれませんでしたね。

こうしてホークスでは初めて「勝利の方程式」が確立され、ベテランの工藤公康の頑張りや、復活にかける若田部もやる気をだし、投手陣は予想以上の力を見せました。

リーグ優勝を決めた本塁打

一方打撃陣は、秋山、小久保、井口、柴原、城島という重量打線であり、更にようやく才能を発揮し始めた松中信彦がそれに加わり、安定した戦いが出来ました。

初優勝を決めた、9月25日の福岡ドームでの対日本ハム戦。4番は小久保が務めましたが、小久保はこの年、長いスランプに喘いでいました。周りからは4番としては失格の声が上がりましたが、王監督は最後まで小久保を4番として使い続けました。

すると大事な終盤戦になって調子を取り戻した小久保は、優勝を決めたこの一戦でも同点ホームランを打ってチームを引っ張りました。後になって、小久保は「あの時に、王監督が辛抱して使い続けてくれたからこそ今の自分がある」と感謝の言葉を口にしています。

小久保独特のバットを放り投げ左手を高く上げるフォームはいつみても素晴らしいですね。その小久保のホームランが、井口忠仁の決勝ホームランへと続いていきました。

井口のホームランは同点で迎えた8回に飛び出しました。あの広い福岡ドームの右中間席に打ち込んだのです。外角やや低目の球を、右中間に運ぶ井口独特のホームランです。強いリストを効かせて、あの方向へあの放物線を描けるのは井口しかいないと思います。優勝を決定したこの試合での、小久保と井口のホームランは今でもはっきりと覚えています。テレビを見ながら、私はその度にバンザイをしていました。

優勝を決めた直後、マウンド付近に集まった選手たち。小久保も城島も泣いていました。そして王監督が宙に舞いました。とうとう若鷹たちは栄光を掴んだのです。鷹は大空高く羽ばたき、ついに常勝軍団へと変わる一歩を踏み出したのです。

日本一への挑戦

この年の日本シリーズは、セリーグを制した闘将星野仙一が率いる中日ドラゴンズが相手でした。対戦前の予想では、中日ドラゴンズが圧倒的にリードしていました。

しかし、戦いが始まると予想外の展開になり、ダイエーホークスが4勝1敗で日本シリーズを制覇し、チャンピオンフラッグが関門海峡を渡る事になるのです。

翌日のスポーツ新聞で、元西鉄ライオンズの選手だった豊田泰光さんが書いたコラムを読みましたが、評論家の中でも、ホークスが勝つと予想したのは二人だけだったとか。その二人とは、記事を書いた豊田泰光さんと、元西鉄ライオンズと西武ライオンズでエースとして活躍した東尾修さんです。ともにパリーグ出身の人ですね。

当時は人気のセ、実力のパとか言われていましたが、パリーグ出身の人は少し肩身が狭かったのか、記事を書いた豊田さんが最後に、「ワンちゃんありがとう」という言葉で結んでいたことに感激した事を覚えています。