若鷹軍団Hawksの軌跡~逆境の中での連覇とON対決へ

2017年10月28日

Upper Deck 2001 Upper Deck パシフィックベストナインカード No.P3 松中信彦

球団不信によるエースの退団

1999年に初優勝を果たし、常勝軍団へと踏み出したホークスですが、そのオフに激震が走ります。その年のリーグMVP投手だった工藤がFA宣言して退団したのです。原因は球団フロントとの摩擦でした。

ダイエーという球団は何かと問題を起こす球団でしたね。1998年のオフにも福岡ドームでのサイン盗みのスパイ疑惑が、よりにもよって西日本新聞社の手で報道された事が有りました。疑惑を持たれたのは3選手で、特別調査委員会により調査も行われたりしました。

1999年はそんな逆風のなかで勝ち取った栄冠でも有ったのです。そして、やっと勝ち取ったとのもつかの間、今度は球団フロントの不当な評価に工藤がFA宣言をし、巨人に移籍する事になるのです。

中継ぎ・抑えの充実で穴埋め

工藤が抜けた穴を補うため、投手陣全体の底上げに取り組みました。

しかし、先発としては、若田部健一、永井智浩、田之上慶三郎などに頼るしかなく、決して豊富とは言えませんでしたが、抑えのペドラザを始め、吉田修二、長富浩志の両ベテランや、昨年の勝利の方程式の一人である篠原貴行がセットアッパーとして活躍し、渡辺正和の台頭も有り、中継ぎ・抑えの充実で何とかしのぎました。

投手陣で二桁の勝ち星をあげた選手は一人もいませんでした。ただ後の大エースである斉藤和巳が初勝利をあげた年でも有ります。

打撃陣の奮闘と松中の覚醒

投手陣の不安は、打撃陣の破壊力でカバーしました。

この年の8月には秋山幸二が2000本安打を達成、小久保も左背筋痛や右手親指付け根を痛めましたが選手会長としてチームを引っ張りました。小久保の右手親指付け根の痛みは深刻だったようで、手袋の上から衝撃吸収パットを装着して打席に向かうシーンが何度もテレビで映し出されました。

この年の打線は、何と言っても松中信彦の覚醒が一番でした。打率、打点、本塁打の打撃部門で堂々のチーム三冠となり、鷹打線の大砲として君臨するまでになりました。捕手の城島は4月半ばにファウルチップを受け、右手の中指を骨折して長期離脱しましたが、7月に帰って来てからは、相変わらずチャンスに強い打撃を披露しました。

そして優勝を決めた本拠地最終戦、田之上投手が粘り、0対0で迎えた6回の裏の攻撃、小久保が真ん中低めのストレートを捕らえ、例によって左手を高々と差し上げました。打った瞬間にホームランだと分かる完璧な当りでした。この1点を田之上からバトンタッチしたリリーフ陣が守り抜き、王ホークスは2連覇を果たしたのです。

この後いよいよ、セリーグを制した長嶋茂雄率いる巨人軍との「ON対決」へと進んで行きます。