若鷹軍団Hawksの軌跡~親会社の業績不振という危機

2017年10月28日

ホークス75年史―南海、ダイエー、ソフトバンクー継承される栄光の歴史 (B・B MOOK 962)

ダイエーグループの経営難

2000年に実現したON対決でしたが、ホークスは残念ながら2勝4敗と負け越しました。1戦2戦と敵地で連勝しましたが、その後4連敗して日本一にはなれませんでした。巨人の圧倒的な戦力の前では仕方なかったでしょうね・・・当時の阪神の野村監督が「金と権力で勝ったようなもの」と巨人を批判していました。各球団のエースと4番を獲得していった当時の長嶋巨人、対して親会社の経営不振から格安助っ人しか獲得出来ないホークス、おまけに工藤まで奪われていましたので結果は見えていたかもしれませんね。

リーグ2連覇を果たしたホークスでしたが、親会社の業績不振という危機が訪れていました。バブル崩壊から続くデフレにより、ダイエーグループは経営難に陥り、また球団経営も赤字が続いていましたのでダイエーは球団売却を模索していました。球団を買いたいという企業は幾つか有ったようですが、全て不調に終わったようです。

2位に終わった2年間

そんな中でも、王監督や選手たちは頑張りましたが、2001年と2002年は2位に終わりました。2001年は小久保、松中、城島、井口の4選手が30本以上の本塁打を打ち、ダイハード打線と呼ばれるなど攻撃陣は活躍しました。しかし、投手陣では人材が現れず、ドラフトで1位と2位に指名した九州共立大の山村路直投手と立命館大の山田秋親投手に期待が集まりましたが、山村は怪我の連続で登板無しに終わり、山田も先発としては結果が残せませんでした。ただ、この年のドラフトで、その後に活躍する寺原隼人と杉内俊哉の両投手を獲得しています。

2002年は正捕手の城島が怪我で離脱したり、相変わらず西武ライオンズに弱かったりで、終わってみれば西武に大差をつけられて、近鉄との同率2位に終わりました。この年の終わりに、秋山が現役を引退し、ホークス一筋だった若田部がFAで退団しました。しかし、ドラフトの自由枠で、早稲田から和田毅投手と九州共立大から新垣渚投手を獲得して来季へと期待が膨らみました。