若鷹軍団Hawksの軌跡~プレーオフ制度の壁と球団売却
プレーオフの悪夢
小久保事件の余波が残る中、2004年のシーズンが開幕。相変わらず打撃陣の活躍が素晴らしく、特に松中は本塁打44本、打点120、打率358で三冠王に輝きました。捕手の城島も、アテネオリンピックのためにチームを離れる前までは、三冠王を獲得した松中と激しく争っていました。結局、松中には届きませんでしたが、捕手のパリーグシーズン記録を塗り替える打率338を記録しました(本塁打36本、打点91)。また、川﨑がショートのレギュラーに定着し、全試合全イニング出場を果たしました。打率も初めて3割に到達し、盗塁王も獲得しました。
投手陣は、斉藤と和田が怪我と不調でお互いに10勝止まりと不本意な成績に終わり、杉内に至っては、6月のロッテ戦で自分の不甲斐ない投球に怒り、ベンチに戻ると素手で何かを殴って両手の小指を骨折し、シーズンを棒に振りました。殴っている様子はテレビで映し出されていましたね。球団はこれに対して罰金600万円を杉内に命じました。
それでも何とか、最優秀救援投手と新人王を獲得した三瀬幸司と打撃陣の活躍でレギュラーシーズンを1位で通過しました。しかし、この年から採用されたプレーオフ制度で西武ライオンズに敗れ、1位ながらもリーグ優勝とは成りませんでした。このプレーオフ制度が、これからもホークスの選手たちを苦しめる事になるのです。
球団売却
この年のオフに、自主再建を諦めたダイエー本社が、産業再生機構へ支援を要請します。そして、オリックスと近鉄の合併に伴い、プロ野球再編問題の話が持ち上がり、ダイエーとロッテも合併させて1リーグ制にしよう等という話まで飛び交う事となりました。しかし、オリックスと近鉄の合併、楽天の新規参入、ダイエーがホークス球団をソフトバンクに売却することで、プロ野球再編問題はいちおう決着がつきました。1989年から16年続いたダイエーホークスはついに消滅し、2005年からは福岡ソフトバンクホークスとして新たな戦いが始まったのです。