若鷹軍団Hawksの軌跡~チームの不振と王監督の決断

2017年10月28日

ありがとう王監督―ホークスの14年

下降するチーム成績と個人成績

王監督が復帰した2007年と2008年のシーズンですが、2007年は期待された松中、小久保、多村の成績もあまり伸びず、投手陣にしても斉藤の故障なども有り、結局リーグ3位に終わり、クライマックスシリーズも第1ステージでロッテに1勝2敗と敗れてしまいました。

2008年は、交流戦で初優勝しましたし、9月初旬までは2位だったのですが、9月に打撃陣の不振などにより5勝18敗と大きく負け越し、最終的に12年ぶりの最下位となってしまいました。

選手個人の成績を見てみると、松中は2006年には324の打率を残したのですが、2007年は打率266、本塁打15本に終わり、この年を境に成績を残せなくなってきます。復帰した小久保の2007年は、25本塁打82打点とまずまずでしたが、2008年は20本塁打56打点と故障もあって成績が下がってしまいました。多村にしても、移籍1年目は13本塁打68打点でしたので、2008年は更なる活躍を期待されましたが、横浜時代からの怪我に弱い体質は変わらずに39試合の出場に終わりました。

投手陣を見てみると、2006年に18勝5敗の成績で投手3冠に輝き、二度目の沢村賞を獲得した斉藤が、2007年は肩の故障で、12試合の登板で6勝しか挙げられず、結局この年を最後に長いリハビリ生活を送る事となります。和田にしても、2006年は14勝6敗と活躍したのに、2007年は12勝10敗とあまり貯金が出来ず、2008年は8勝8敗に終わっています。唯一活躍したのは杉内だけで、2007年は15勝6敗と斉藤に代わってエース級の働きをしました。また2008年は10勝8敗で2年連続2桁勝利を達成しました。杉内は2003年くらいから隔年でしか活躍できない投手というレッテルを貼られていましたので、それを自ら払拭しましたね。

そして王監督自らの決断

このように、2007年と2008年は選手の不振や故障などで思うような結果が残せず、特に2008年の9月に5勝18敗と大失速した時点で、王監督は、これを打破するためには何か変化が必要だと考えましたし、自分の体調がチームに悪影響を与える事を恐れていましたので、今シーズンを最後に勇退する道を選びました。ファンとしては、一年でも長く続けて欲しいという願いは有りましたが、日に日に痩せ細っていく王監督の姿をみるのは辛かったですね。こうして、球団側の王監督を終身監督とする意向は、王監督自らの決断で終止符が打たれました。そして王監督は、かねてから言っていたように、秋山幸二を自分の後釜として監督に推薦し、球団側もこれを承認して、いよいよ秋山ホークス時代へと突入していくのです。