若鷹軍団Hawksの軌跡~工藤ホークスの誕生

2017年10月28日

野球のプレーに、「偶然」はない ~テレビ中継・球場での観戦を楽しむ29の視点~

工藤公康に監督要請

ホークス球団や王会長の動きは早く、ホークスOBの工藤公康への監督要請は早い段階で行われた様です。王会長は電話で「やってくれないか」と頼むと、直ぐに上京して工藤と会い直接要請しました。工藤は、ホークスでの現役時代に王会長にはお世話になっていましたので、恩義のある王会長から頼まれれば嫌とは言えません。また、工藤はホークスから巨人にFA移籍する際、福岡のファンから残留を願う約17万3000人分もの署名を受け取っていましたので、いつか恩返しがしたいと考えていました。そういうことも有り、気持ちの中では即決だった様です。

工藤は筑波大学大学院の人間総合科学研究科に入学していましたし、テレビのスポーツキャスターや評論家など、多面で活躍していましたが、2014年の11月1日に記者会見を行い、正式に福岡ソフトバンクホークスの監督に就任しました。正式に発表するまでの間、キャスターをやっているテレビ番組で、司会者からしきりにホークスの監督の事に関して触れられていましたが、口に出せないながらも終始嬉しそうな顔をしていると感じていました。

コーチングスタッフ

正式に監督就任が決まれば、コーチングスタッフを決めなければいけません。ある程度は、今季のコーチングスタッフが残留しましたが、退任したスタッフもいましたので、工藤みずから声を掛けた新スタッフもいるようです。まず、一軍投手コーチには楽天を退団した佐藤義則が就任、同じく投手コーチとして筑波大学院で一緒だった吉井理人に工藤が声を掛けたようです。一軍外野守備走塁コーチに就任した飯田哲也も、工藤から直接要請を受けたと言っていましたね。また、横浜で工藤と一緒だった佐久本昌広(ダイエー~阪神~横浜)も3軍投手コーチとして工藤が声を掛け連れて来たと思います。更に変わり種として、同じく3軍投手コーチに就任した元巨人の入来祐作も工藤が声を掛けた一人です。

彼は巨人でエース級として活躍した後、日本ハムを経てアメリカに渡りましたが、思うような活躍が出来ず、帰国してから横浜のテストを受けて3年振りに日本球界への復帰を果たします。しかし、故障などによりシーズンオフに戦力外通告を受け、その年の12月から2014年の秋までの6年間、横浜で用具係などをしていました。その6年間はかなり辛い時期だったと思います。当時のコーヒー飲料のCMで、用具係の仕事をしている模様が映し出され注目されました。そんな彼に、横浜で一緒だった工藤から声が掛かった訳ですから嬉しかったと思います。就任会見では、思わず涙を流していましたね。そんな彼は、工藤から「自分の好きな様にやったらいい」と言われた様です。その後、コートとして頑張っている姿が、福岡の民放局やNHKで放映されましたので観た人も多いと思います。