貴乃花親方は秦の始皇帝?

2020年7月8日

日本相撲協会が揺れています。貴乃花部屋に所属する貴ノ岩が同じモンゴル出身の横綱・日馬富士に暴行を加えられ、11月場所を休場しました。この事件により横綱・日馬富士は責任を取って引退を表明。現役横綱による暴行事件を受けて、メディアはこの事件を一斉に取り上げ、相撲協会の保守的な対応、また貴乃花親方の沈黙も重なって事件は混迷を極めています。

この事件の輪郭がぼやけている原因のひとつには、貴ノ岩の師匠である貴乃花親方のメディア対応にあると思います。終始無言を貫き、この事件をどのように収束させたいのか(させたくないのか)、貴乃花親方の心中が分からないことも、この事件を注目している私たちの気持ちを複雑にさせます。現役時代の貴乃花が平成の大横綱だったことも、もやもやした気持ちになる原因のひとつだと思います。

そこで、貴乃花親方は一体何を考えているのか、過去の歴史的偉人に注目すると、少し分かってくるような気がします。現在の貴乃花親方の状況に似ている人物は、秦の始皇帝です。始皇帝という言葉は聞いたことがあると思います。中国史の中で初めて中国を統一し、初めて「皇帝」という称号を用いた人物です。若者を中心に人気のある漫画『キングダム』もこの時代を取り上げています。秦の始皇帝が中国を統一できた理由、そしてその後の歴史を探っていくと、今後貴乃花親方がどのような行動を取るのかが少し見てくる気がします。中国の歴史を少し見ていきましょう。

1.中国の思想は儒学(教)

秦が中国を統一する前は、中国は「戦国の七雄」と呼ばれる7つの国が覇権を争っていました。この時代を春秋戦国時代と言います。各国は富国強兵を努めると同時に、自分たちの国が天下を取るためにアドバイスをしてくれる知識人をそれぞれ抱え込みました。こうした知識人たちのことを「諸子百家」と言います。

その中で、現在の中国にまで影響を与える思想を構築したのが孔子という人物です。戦国時代による乱れた社会を解決するためには、大きく分けて2つの方法があります。1つは古い秩序を取り戻すこと、今の言葉で言うと保守です。もう一つは新しい秩序の創造であり革新です。孔子は保守の人でした。つまり「古いもの(旧秩序)」を大事にしようという考えであり、孔子の考え方をまとめたものを「儒学(教)」と呼ばれます。

日本人は初対面の人に真っ先に年齢を聞きますが、その理由は自分よりも「古い(年上の)」人、つまり先輩には気を使わなければいけない、という儒教的な考え方があるからです。日本人は年齢を聞く時、この人は自分よりも目上なのかそれとも下なのかを、年齢を聞くことによって無意識に計算しているのです。こうした日本人の態度は極めて儒教的で、日本文化も儒教の影響を相当受けています。

2.秦は儒学を採用しなかった

戦国時代、儒学の考えが大半を占める中、秦だけは儒学を採用せず、法家という思想を採用しました。儒学は保守的でしたが、法家は革新的です。法家とは、法をきちんと定めてそれに基づいて国家を運営していこう、という思想で私たちの今の社会の感覚に近いものです。

法家はなぜこの戦国時代に有効な思想だったのでしょうか。なぜなら、法による統治は計画性が立てやすいからです。例えば商売をするとき、その時の国王の気分によって、昨日までは売ってよかったのに今日はダメ、という風にルールがころころと変わってしまったら、非常に商売がやりにくいです。秦のように「やっていいこと、ダメなこと」が法によってきちんと定まっていたら、商人はきちんと計画を立てて、売るものを仕入れることができます。つまりは、国がルール(法)を明確にしてくれた方が庶民は生活がしやすいのです。そのため秦の政策を聞きつけた人々が中国全土から集まった結果、秦は繁栄し他の国を圧倒し、中国史上初の中国統一を成し遂げることができました。

3.改革者は必ず抹殺される

しかし秦は中国統一後、わずか15年で崩壊してしまいます。それはなぜでしょうか。

始皇帝は、今までの儒学的な古い制度(保守)を否定し、法家による新しい制度を次々と取り入れた、いわば改革者です。そして、いつの時代も改革者は保守派によって抹殺されます。始皇帝は改革を急ぎ過ぎたのです。古代ローマのカエサルもそうですし、日本史では織田信長もそうです。織田信長はまた別の機会で触れたいと思います。中国を統一した始皇帝も保守派の激しい抵抗にあい、彼が亡くなった3年後、秦はあっけなく滅亡することになります。

秦の歴史を今回の相撲騒動に当てはめると、「相撲協会=保守派VS貴乃花=始皇帝(改革者)」という図式になります。このまま行けば、始皇帝である貴乃花は必ず相撲協会(保守派)につぶされることになりますが、来年(2018年)の2月には新しい理事長を決める選挙があります。ここで改革を訴える貴乃花親方は必ずや行動を起こしてくると考えられます。

どういった行動が考えられるのか。(1)自ら選挙に出馬する、(2)貴乃花の側近を代わりに出馬させる、(3)何もしない、この3つが考えられます。もし貴乃花親方が(1)を選択した場合、確実に相撲協会は親方を潰すでしょうし、(3)の場合も親方自らが自滅するだけです。そうなると(2)の選択しか残されませんが、(2)を選択するとは具体的にどういうことなのでしょうか。また歴史に戻りましょう。

4.長期政権のカギは新旧のバランス

秦が崩壊した後、中国を統一したのは漢です。『項羽と劉邦』という司馬遼太郎の小説で有名ですが、項羽との対決に勝利した劉邦が漢を建てました。漢が採用した政策はほとんどが秦の政策を引き継いだものです。しかし秦と違うところは保守派との関係性も重視したところです。秦は法家を採用しましたが、漢は儒学を採用(官学化)することで保守派のご機嫌をなだめることに成功しました。古い秩序と新しい秩序の融合に成功した漢は、前期と後期を含めて約400年間という長期政権を築くことができました。

秦滅亡後の漢の歴史までを見てきたところで、今回の理事長選を再度考えてみましょう。貴乃花親方の取るべき選択とは、(1)自身は出馬せずに自身と考え方が近い人物を理事長にする。(2)その理事長には貴乃花親方と相撲協会(保守派)の橋渡し役、つまりはバランスを取ってもらう役割に専念してもらう。これがベストではないかと考えます。実際に、貴乃花親方を支持する錣山(しころやま)親方(元関脇の寺尾)が時津風一門を離脱するなど、理事長選に向けての動きが活発になっています。

始皇帝は改革を急ぎ過ぎ、保守派の抵抗にあった結果、15年という短期政権に終わりました。その後、漢は秦の政策(改革)を引き継ぎながらも、保守派とのバランスも重視し、約400年という長期政権を築くことができました。もし貴乃花親方が歴史的なバランス感覚を持ち、今後も改革を継続したいのであれば、参考にすべきは始皇帝ではなく、劉邦ということになります。