権力として機能する学校① 「監獄」と「身体の支配」

今回は現代の教育について思想的な観点から考えていきたいと思います。

前回の記事「フランス革命による徴兵制と近代教育の起源」ではフランス革命の時、兵士を育成する場所として学校が活用されたことを確認しました。「義務教育の起源とブラック企業」ではイギリス産業革命の時、児童労働が社会問題となり、それを防ぐためにイギリス政府が義務教育を始めたことを確認しました。

この二つの近代国家における教育で共通している点は、どちらも国家が税金を投入し、国民に教育を提供するということです。なぜそこまでして、国家は莫大な教育予算を投入して、国民の面倒を見ないといけないのでしょうか。いきなりそう聞かれても、なかなか答えることができない質問ですが、この問いを深く考えた人物としてフランスのミシェル・フーコーという哲学者がいます。今回はフーコーの主張を参考にしながら、近代国家における権力の支配方法、またその支配に対して教育の果たす役割について考えていきたいと思います。

1.前近代は恐怖による支配

どの時代でもどの地域における権力が直面するのは、民衆による反抗をどのように抑えるのかという課題です。前近代における反抗の押さえ方は「恐怖」を与えることでした。身体的な拘束や拷問によって痛みを与え、また公開処刑などによって民衆に恐怖を与えて「自分たち(権力)に逆らったら、お前も同じことになるぞ」というメッセージを送り、民衆を抑え込みました。今の北朝鮮による支配をイメージすると分かりやすいかもしれません。

しかしこの支配方法では、権力の支配力が弱まり、民衆が権力を倒すことができそうだと判断した場合、その復讐心から反抗を起こそうとします。フランス革命がその一例です。恐怖による支配というのはあまり効率がよくないのです。

フランス革命によって誕生した近代国家(権力)の課題は、国民が権力に対して反抗的な行動を起こすだけではなく、それにプラスして国家に自発的に奉仕しようとする個人をどのように育成するかというものです。前回の記事「フランス革命による徴兵制と近代教育の起源」では、学校では生徒にフランス国歌を熱唱させることによって愛国心を植え付け、国民の戦争へのモチベーションを上げ、フランスのために戦う兵士を育成することが目的であることを触れました。

権力(国家)に対して疑いの心(反抗心)を持たず、国家に従順な個人を作ること。そのために権力が考えた方法は2つあります。「監視」と「身体の支配」です。

2.パノプティコン(一望監視システム)

一つ目の「監視」から見ていきましょう。フーコーは『監獄の誕生』という書籍において、近代社会の構造を示す象徴的モデルとして、哲学者のベンサムの設計した「監獄(パノプティコン)」を取り上げました。以下の写真を見てもらえれば分かりますが、「パノプティコン」とは、独房の中央に監視室を置き、常に囚人が監視に見られている、という精神的状況を作り出す「一望監視システム」のことです。

独房の中央に監視者が実際にいなくても、受刑者は常に監視されていると思うため、監視者が不審に思うような変な行動を起こすことを躊躇うようになります。受刑者は自分は常に「監視」されていると思い込み、監視者が喜ぶような態度や振る舞いを演じ、ルールを順守することを自らに課そうとします。これを「規律の内面化」といいます。この最終目的は、受刑者を自発的に更正のための訓練へと向かわせることためです。

こうしたシステムは現代の刑務所においても採用されています。まず受刑者は他の受刑者と同じ大部屋に入れられ、共同生活を強制されます。トイレは大部屋の真ん中に配置され、仕切りもなく受刑者のプライベートは全くありません。しかし、その後の素行が良いと刑務官に判断された場合、受刑者は個室に移されることが許可されます。素行が良ければ、徐々に生活環境がアップグレードしていくシステムです。最終的に受刑者は、部屋の鍵を渡され、刑務所の中を自由に行き来できるようになり、刑期も短くなっていきます。このように受刑者にインセンティブを与えて、自らの意志で更生に向かわせようとするシステムは、現代の刑務所でも有効に機能しています。

フーコーはこのパノプティコンを近代社会の比喩として用いて、近代社会はいたるところで現代の刑務所でも行われている更生システムのような「監視」が行われていると主張しました。詳しくはあとで見ていきます。

3.身体を支配することの意味は?

二つ目の「身体の支配」に行きましょう。近代国家は例外なしに、国民の身体を監視し、操作可能な(管理しやすい)状態に置こうとします。国民による反抗を抑えるためには国民の身体をどのように支配するかという技術は、近代国家におけるもっとも大事な政治的課題といっても過言ではありません。

「身体の支配」とは国民の行動を支配することも含まれます。人は生きている以上、様々はことで不満(ストレス)を溜めます。権力にとって怖いのは、その不満の矛先が自分達(権力)に向かうことです。その不満をどのように解消させるのか、ということも権力にとって大事な課題となります。

4.権力は国民の行動を管理(監視)

例えば、春はお花見、夏は高校野球(甲子園)、秋は紅葉、冬はクリスマスというように、私達は一年間の予定を季節のイベントに合わせて立てます。こうしたイベントは個人消費を喚起する目的もありますが、権力が国民の行動を管理し、支配するための手段としても利用されます。権力は一年間の予定に基づいて国民の行動を把握することができれば、国民の思考パターンを分析し、不満の矛先が権力に向かわないような対策を講じることもできるからです。

桜を見ながら、お酒を飲む「お花見」は日本国民の定番の行動パターンです。権力からすれば、そこで職場や社会に対する日頃の「不満(ストレス)」を吐き出し、今後一年間の仕事をまた頑張ろうと決意し、しっかり納税してくれればいいわけです。そして4月になり、新しい仕事に疲れてきたところ(ストレスが溜まってきたところ)で、5月の大型連休(ゴールデンウィーク)に突入します。このように、権力が国民の予定を管理する目的は、不満の矛先が権力に向かないようにするためなのです。

5.「身体の支配」を通じて「精神の支配」

近代国家が「監視」と「身体の支配」で目指しているのは、単純に身体(行動パターン)のみを支配下に置くことだけではなく、身体の支配を通じて、精神を支配することを最終的な目的とします。この目的は、強制による支配ではなく、強制されていると本人が自覚しないまま、自らの意志に基づいて、自らの内発的な欲求によって権力に奉仕するように仕向けることにあります。

少し抽象的になってきたので、具体的に考えていきたいと思いますが、長くなりましたので次回の記事で続きの部分を考えたいと思います。

近代国家にとって「監視」と「身体の支配」の二つの条件が揃い、国民を支配するための適切な場所はどこになるのでしょうか。その場所は「学校」になります。次回は、この権力という観点から学校について考えていきたいと思います。

監獄の誕生―監視と処罰

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