思春期になると異性を好きになるのが普通? 学校とジェンダー セクシュアルマイノリティ編1
小学校も6年の大翔君は保健の授業を受けていました。いつもは保健室にいる保健の先生も教室にいるのでなんだかみんなそわそわ。大翔君も不思議な気持ちです。担任の先生が話し始めました。
「小学6年生になったら、異性、男の子は女の子が、女の子は男の子が好きになり始める年ごろになっていきます。早い子はもう好きな子がいるかもしれないし、まだの子はこれから好きな子ができてくるでしょうね。」
そのあと保健の先生が体の仕組みや、これからどういう体の変化が起こってくるのかを説明してくれました。
それから数年たち大翔君も中学生になっていました。つるむ友人もできて楽しい生活を送っています。
ある日、保健体育の授業の時のこと。
「みんなの年になると異性に好意を持っていると思います」
と担任教師が切り出しました。
教科書には「思春期に入り、生殖機能が成熟してくると、自然に異性への関心が高まり、友情とは違う感情が生じてきます」とありました。
大翔君は、小学校でも教科書で「思春期になると異性のことが気になったり、なかよくしたという気持ちが強くなったりします」と習ったことや、自分も女の子から告白された経験からそういうものなんだ、と納得しました。
休み時間、友人の蓮君が浮かない顔をしていました。「どうした?」と声をかけましたが、「何でもない」と言われました。廊下を見ていると隣のクラスの男子が2人してじゃれていました。ノートを貸してくれというやり取りが発端でふざけ合っているようです。
そこに男性の主任教諭がやってきました。
「何やってんだ、お前ら。男2人じゃれ合って何が楽しいんだ。もしかして、お前らホモか」
先生は笑いながら言いました。周りの生徒からもどっと笑いが起きました。隣を見ると、まだ蓮君は浮かない顔をしていました。さっきよりも元気が無いように見受けられます。そして蓮君は次の日から学校を休みがちになりました。
しばらくたった後、中間試験がおわり、少し学校も落ち着きを取り戻していました。蓮君は試験を保健室で受けたようです。登下校の時、姿を見かけたくらいで、声をかけられませんでした。そして試験が終わっても、蓮君はまた休みがちになりました。声をかけても、「うん、またね」と返してくる程度です。
ある日大翔君は思い切って、一緒に帰宅しようと蓮君を強引に誘ってみました。
「最近、体調悪いのか」
「うん、ちょっとね」
「なんか学校で嫌なことでもあった?」
「……」
「いじめ、とか?」
「違うよ」
「お前がいないとさ、学校全部楽しくないからさ、また学校来いよ。保健室なら保健室で寄るからさ」
しばらくの沈黙の後蓮君は言いました。
「俺が、女の子に興味ないて言ったら引く?」
大翔君はすぐに意味が分かりませんでした。
「授業であっただろ、異性に惹かれるのが普通だって。俺はその惹かれる対象が男みたいなんだ。引くだろ」
大翔君は考えました。自分とは違うけど最近はテレビで「オネエ」のような外面も仕草も女性のようではない、男性の見た目で男性が好きな人もいると紹介されていたのを思い出しました。
「よくわからないけど、それがお前ならお前でいいんじゃないか。変じゃないってテレビでもしてたし」
蓮君は、少し落ち着いたように頷きました。
※上記はフィクションです。
最近では文部科学省が性同一性障害に考慮する通知を皮切りに、教育の現場でも認知、理解され始めたセクシュアルマイノリティですが、あだまだセクシュアルマイノリティを含めてすべての子どもが通いやすい学校への道はまだまだ遠いようです。例えばSceneのように、学校の先生が「もしかして、お前らホモか」などと発言することや友人が「お前こっちなの」などと言うように「ホモネタ」を使って笑いを取ることは依然として日常的に残っていると思われます。
以前「何が困るの ――ゲイ個人編」ではメディアに出てくるような「いじり」のひとつで男性2人でふざけ合う人たちや、「男らしく」ない人に対して「お前たち「ホモ」かよ~」「お前、こっちじゃないのか」などと声がけすること、メディアに登場する「オネエ」がどうしても男性の同性愛者であり女装していたりしなやかな人が多かったりする事から自分がゲイだと気付いた時、「みんなとは違う」という葛藤と同時に自分の「オネエ」ようにしなやかな言動をしなければいけないのだろうか、またメディアで行われているように周りから笑いの対象にされるのではないだろうか、と葛藤する人もいるということをご紹介しました。
Sceneで紹介したような日常の「当たり前」はセクシュアルマイノリティにとって「笑い」の対象にされるという感覚だけでなく、否定され自己肯定が難しい状態にマイノリティもの当事者たちを追い込んでいく可能性があります。