西川美和が紡ぎ出す、人を愛することの素晴らしさを描いた映画「永い言い訳」

2020年7月8日

2016年10月14日に映画「永い言い訳」が劇場公開されました。
本作は、西川美和監督の映画「夢売るふたり」以来、4年ぶりの最新作となります。
今回は、「永い言い訳」の見どころとともに西川美和監督についてご紹介していきたいと思います。

永い言い訳 (文春文庫)

あらすじご紹介

人気作家の津村啓(本名:衣笠幸夫)は、妻が旅先で不慮の事故に遭い親友とともに亡くなったと知らせを受けるが、妻の死に涙を流すこともなく、世間に対して悲劇の主人公を装わなければならないことにウンザリ気味。
そんなある日、妻の親友の遺族でトラック運転手の夫・陽一とその子供たちに出会います。ふとした思いつきからその兄妹の世話を買って出た幸夫、誰かのために生きる幸せを初めて知り、虚しかった毎日が輝きだしますが・・・。「妻が死んだ。これっぽっちも泣けなかった。そこから愛しはじめた。」という衝撃的なキャッチコピーで始まる、一人の男が、愛すること、誰かのために生きることを理解するまでを描いたラブストーリー。
ひとを愛することの「すばらしさと歯がゆさ」を描ききった、観る者すべての感情をかき乱す感動の物語です。

タイトル:「永い言い訳」
2016年10月14日TOHOシネマズ 新宿ほかにて全国ロードショー
配給:アスミック・エース
公式サイト: http://nagai-iiwake.com/

西川美和とは?

映画「永い言い訳」にまつわるXについて

西川美和は今日本で最も実力が認められている女性映画監督のひとりです。
大学在学中に是枝裕和監督の映画「ワンダフルライフ」にスタッフとして参加し、
以後様々な監督の作品に参加しながら、是枝作品に助監督として多く携わります。
是枝監督プロデュースのもと、幾つかの作品で監督を務めた後、
2011年、西川のオリジナル脚本・監督で映画「ゆれる」が公開されます。
「ゆれる」はカンヌ国際映画祭に出品されるなど、国内外で多くの賞を受賞し
高い評価を受けました。
その後も、映画「ディア・ドクター」「夢売るふたり」などを発表し、
人間のドロドロした感情や観たくないものをエグいくらいに引き出す描写や
その後に待ち受ける衝撃が凄く、どちらもヒットしました。
「ディア・ドクター」に主演した笑福亭鶴瓶は西川監督のことを、
「可愛らしい顔して怖いことをどんどん言ってくる。」とインタビューで答えておられました。

是枝監督と西川監督の作風は、似ていないのですが、
本作での「四季を追う、演技経験がほとんどない子どもを撮る、ということに関しては、
やっぱり是枝さんがそれをやっているから、踏み出せる勇気を持てたのだと思います。
ただ、師匠の名を汚すわけにはいかないという若干のプレッシャーもありました。」と
西川監督はインタビューでおっしゃっていました。

作家としても、「ゆれる」の同名小説が三島由紀夫賞の候補、
本作の同名原作本は直木賞候補になるなど、マルチな才能を発揮している方でもあります。

主人公・幸夫と本木雅弘がぴったりとリンク

永い言い訳

本作の同名小説は直木賞候補にもなった秀作で、
映画ではわからなかった登場人物たちの心情がとてもわかりやすく描かれています。
特に幸夫の考え方、話し方、行動全てが本木さんのイメージそのままだ!と驚き、
当て書きか?と思ってしまったのですが、幸夫の嫌な感じは、なんと西川監督自身が持っている嫌な感じを多いに参考にしているそうです。
是枝監督にも「本木さんは幸夫にそっくりだ。」と言われたそうで、西川監督はインタビューで「今回のキャスティングは当て書きと言われるくらいに成功していると思います。」とおっしゃっていました。
初めは、何を考えているかわからない、口は笑っているのに目は笑っていない、大人の体をして中身は子どもな幸夫が、子どもたちと過ごすにつれ、ふと素の感情や本音がこぼれ出るように変化していきます。
その頃には、もう「幸夫頑張れ!」と一人の不器用な中年男性が他人事では思えなくなってしまい、誰しもが抱える嫌な部分と真っ向から向き合わされてしまう、やはり西川監督らしい“毒”のある映画になっています。

贅沢過ぎる脇役に注目!

SWITCH Vol.29 No.11(2011年11月号) 特集:深津絵里

黒木華写真集 映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』より

原作では、妻・夏子と愛人・福永千尋のそれぞれが愛す愛さない言い訳が彼女たちの語りパートで描かれています。
しかし、本作中で登場する夏子と千尋は、登場する時間もほんの少しだけですし、彼女たちの口から本音が語られることはありません。
あくまで、主軸は一貫して幸夫です。
しかしながら、深津絵里演じる夏子と黒木華演じる千尋は、台詞や仕草、幸夫が気付かないくらいのちょっとした表情の変化で、彼女たちが抱えている思いや、幸夫との今の関係性に対する思いを、如実に醸し出しています。
双方、20分にも満たない登場時間の中で、これだけ含みを持たせた演技ができるのは、さすが深津絵里!さすが黒木華!です。
特に黒木華は、割り切った不倫をする現代っ子という、これまでにない役柄で、同姓からしたら危険な女の香りをプンプンさせて小悪魔な笑みを浮かべる千尋は、彼女の新境地といえるでしょう。

幸夫が出会った一組の家族

鈍色の青春 (CCCD)

突然の事故で妻を亡くし、独り身となった幸夫が出会った一組の家族。
それは妻の親友家族で、同じく妻であり母でもあったユキを亡くし、悲しみに浸る間もなく「健康で文化的な生活」が崩れそうになっている大宮家でした。
長距離トラックドライバーの仕事を辞めると子どもたちを養っていけない、けれど、長距離だと何日も帰らない日もあり、子どもたちの最低限の世話さえままならない大宮家の現状を竹原ピストル演じる父・陽平から聞いた幸夫は、ふと思いつきで「自分は作家だから仕事はどこでも出来るし、長男の真平が塾から帰るまで灯の面倒を見るよ。」と提案します。
大宮家に通うことになった幸夫は大宮家で自分の知らない夏子が映った写真や出来事をたくさん知ることになります。
ここまででお分かりかも知れませんが、西川監督は、“人間関係の希薄な現代社会”も同時に描いています。
夫婦で同じ家に住んでいても何をしているのか?何を考えているのか?わからない。
突然の事故で母親を亡くし、生活がままならなくなってしまった一家がいてもご近所の人たちは助けてくれるわけではない。
「誰かに必要とされたい。そして、生きている実感が欲しい。」と願っても、幸夫のようにきちんと向き合うことを恐れて、手に入るものも入らなくなってしまう。
本作で西川監督が描いた幸夫と大宮家の関係性は、誰にも必要とされていないと感じる深い闇に落ちるのはいとも簡単な現代社会への警鐘でもあるのかも知れませんね。

子役二人のナチュラルな演技に注目!

幸夫の希望の光となった大宮家の子どもたち。
中学受験を控えた長男・真平は藤田健心、保育園に通う5歳の長女・灯はNHK朝の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」にレギュラー出演し、その可愛らしさが評判になった白鳥玉季が演じています。
突然、母親がいなくなり、代わりにやってきたのは、ご飯の炊き方もわからない「幸夫くん」。

真平が灯の世話をするために受験を諦めようとする姿や、灯が幸夫とゆっくりわかり合っていく様子がナチュラルに描かれています。
西村さんの作品は、人のドロドロした感情をえぐるようなものが多いのですが、本作では、季節の移り変わりとともに、幸夫と子どもたちが成長し、絆ができていく様子が丁寧に綴られています。
西村さんは是枝監督の弟子ですが、これまでの作風はあまり似ていません。
しかし、本作は、「ああ、是枝監督の景色だ。」と感じられる、ゆったりとした温かな世界の中に、幸夫という“毒”を投入し、これまでの西村監督にはない、これまでで最高の作品に仕上がっています。

それぞれの永い言い訳とは?

【チラシ2種付き、映画パンフレット】  永い言い訳 監督 西川美和 キャスト 本木雅弘, 竹原ピストル, 藤田健心, 白鳥玉季, 堀内敬子, 池松壮亮, 黒木華,

本作のキャッチコピーの「妻が死んだ。これっぽっちも泣けなかった。そこから愛しはじめた。」とはどういう意味なのか?
気になりますよね。
いつからか仮面夫婦状態だった衣笠夫婦を襲った悲劇。
遺された幸夫は夏子に対して「自分だけ抜けてずるいじゃないか。遺された方がずっとずっと迷惑するんだ。」と思い、陽平も「(ユキは)幸せだったのかな?どう思っていたのかな?」と悲観に暮れます。小学生の真平もまた、母親に対して日頃から反抗的な態度をとってしまっていたが、もう謝ることができないと父親のいない間に幸夫の前でだけ涙を流します。
彼らの姿は私たち観客に、生きている間に愛する努力を怠ってはいけないと強く訴えかけてきます。
そして幸夫もまた、子どもたちに必要とされることで、夏子の存在を強く感じ、彼女との日々を思い出し、後悔したり言い訳したりしながら、「あの人がいるのだから、生きていかなければ。」と、ようやく前を向くことができるようになります。
本作は、人は誰かを愛し愛され、必要とされて、やっと生きていくことができること、
伝えたいけれど言い訳さえ届かないことのもどかしさなど、生きていく上で誰もが通る悲しみの乗り越え方を優しく教えてくれる作品です。

いかがでしたか?
本作はいつもの西川監督の作品と違って、是枝監督のテイストも入っているけれど、西川監督の“毒”もちゃんと健在していて、本木さんの幸夫の演技が素晴らしくて・・・。
漫画の実写化やアクション大作も良いかもしれませんが、たまにはこういうきちんと心で考えて自分の糧になる作品と向き合ってみるのも良いかも知れませんね。

(文 / Yuri.O)