力士に対する好みは十数年で変わる
テレビ番組などで、相撲をテーマに取り上げたもので、たびたび贔屓力士を持った方が相撲を面白く見られると力説する親方やファンを目にすることがありますが、私は別にそのような必要はなく、むしろ変わっていく方が自然ではないかと私は思います。ちなみに贔屓力士とは自分が他の力士よりも気に入っていて、好きだと思える力士のことをいいます。
例えば遠藤関や千代丸関のようにイケメンやかわいい顔をしている力士や、石浦関や里山関のように小柄な力士でも大型力士の中に潜って多彩な技で繰り出す力士や、玉鷲関や高安関のように急激に力をつけて横綱や大関を破った力士を気に入っている人は結構多くいます。
確かに相撲を見始めたビギナーならば、こういった力士がいることで一つの楽しみを感じられる上、同じ思いを持っているファンも多いので共感することもできます。また、土俵で活躍して人気になっている力士の成績が落ちたり、なかなか目当ての動きを見せなかったりする時は「あれ。どうしたのだろう?」などと思って次に期待するという楽しみが膨らませることもできます。13年間相撲ファンである私でも、ファンになって数年は高見盛関の取組直前の胸を叩いて腕を激しく上下するパフォーマンスが面白くて引退するまでお気に入り力士の1人でした。
でも、長い間相撲を見るにつれて興味が取り組みだけでなく、力士の日常生活や巡業のようすなど他の要素にも広がっていくにつれて、先述したような人気力士だけでなく、他の力士に対しても注目するようになり、これまで好きだった力士の他にも新しい贔屓力士が出てくることも十分に考えられる上、力士も時間を重ねるにつれて勝負でのやり方も変わってくるのが多いので、それが気に入らなくなれば自然と興味から外れてしまいます。
私も、ほんの数か月前までは琴勇輝関の勝負の際に絶対に逃げない姿勢に好意を感じましたが、最近になって、ぶつかる直前に相手を避けて叩き落としたり、軽く投げ捨てたりするようになったので、今は特に何も感じておりません。
このように、時間が経つにつれて自分が好きに思う要素が変わったり、力士自身が変わったりするので、贔屓力士は変わって普通だと私は思います。