横綱という地位の難しさについて

そもそも横綱とは、どのような意味があるのか

まず、大相撲の世界で最高位の番付が横綱です。一般的にもチャンピオンやナンバーワンという意味でも使われることがあります。プロを志す力士たちが目指す先は、この横綱ということになりますが、これまでに横綱になった力士は僅かに70人余りしか、いません。それだけ角界の頂点に立つには難しい地位なのです。


出典:力士プロフィール – 白鵬 翔 – 日本相撲協会公式サイト

そもそも横綱という言葉は土俵入りの際に腰に巻いている綱の事に由来すると言われており、初めから横綱という地位はありませんでした。番付表に横綱という文字が載ったのは今から約130年前の明治時代中期で、第16代横綱の1代目西ノ海関でした。それまでの番付の最高位は大関で、この大関の中で特に成績・品格が抜群の力士に対して、先述した綱を締めて土俵入りすることが許されていました。この最初のケースが今から約225年前に第4代横綱の谷風関と第5代横綱の小野川関でした。この2人が横綱として最初とされています。それ以前の3人の横綱は伝説上の力士とされており、正式な記録が残されていません。

横綱になる条件は複雑である

横綱に昇進するためには、成績が大関で2場所連続優勝かそれに準ずる成績を収める力量と横綱を務めるための品格が抜群であると横綱審議委員会が判定した上で、日本相撲協会の臨時理事会で正式に決定される必要があります。だが、昇進に関する成績に関して、その時の横綱の在位数や優勝争いの星の差など、状況によって同じような成績を出しても昇進できるか否かが異なっています。例えば、浅香山部屋師匠の元大関魁皇関は13年前に13勝の優勝後、12勝で準優勝しましたが、優勝争いでトップの第68代横綱朝青龍関と星の差が2つ離れて、14日目に優勝が決まった上だったので、昇進は見送られました。また、伊勢ケ濱部屋師匠の第63代横綱旭富士関は3場所で通算40勝5敗の好成績且つ、優勝同点を2回マークしたにもかかわらず、当時、優勝なしで昇進した第60代横綱双羽黒関の廃業問題の直後で昇進基準が一気に厳しくなったあおりを受けて見送られたことがありました。これが影響して横綱在位は僅か1年半でした。逆に第71代横綱鶴竜関は連続優勝をしていないにも拘らず1つが優勝同点だったため、昇進しました。

横綱昇進が決定すると、千秋楽後の水曜日に所属している部屋に相撲協会の理事と審判委員の2人が昇進を決定したと報告する昇進伝達式が行われた後に横綱として扱われます。そして、土俵入りの際の綱を一門の力士も借りて総出で作っていきます。この際、結び目の締め方は土俵入りの型によって異なり、せり上がりという四股を踏んでから全身をゆっくり伸ばして行くときに腕を片方だけ伸ばす雲竜型の場合は1つなのに対し、両腕を伸ばす不知火型の場合は2つ作る上、全体的に重くなります。ちなみに先述の鶴竜関は雲竜型、第69代横綱白鵬関や第70代横綱日馬富士関は不知火型を取っています。大関までは集団で土俵入りしていたのが、横綱では本人を含めて太刀持ちと露払いを務める幕内力士を含めて3人なので、いかに特別な存在であることが実感できると思います。

横綱には常に責任が伴う

先述したとおり、横綱は大関以下の力士と異なる位置づけになっています。そもそも、神社などの入り口に飾っている縄の先は神の領域と定められているように、綱を巻いた力士である横綱も神という、特別な存在であるとされています。このため、大関以下のように負け越しても陥落することはありません。ただし、勝って当たり前の地位であるため、負けが越すようであれば、自分で引退を決めねばならないという重大な責任を伴うことを意味します。例えば、先代九重部屋師匠だった第58代横綱千代の富士関が誕生した際、本人に、当時の師匠だった第52代横綱北の富士関が「辞めるときはズバッと辞めような」と言い、その10年後の夏場所で2敗を喫した地点で引退を決めた例が挙げられます。また、15日間出続けて負け越した横綱は過去に6人しかいません。成績が不振の地点で休場したり、引退したりするケースが多いからです。

これらのように横綱という存在は成るのが難しく、なってからも大変な地位と言えると思います。