花のゴーイチ組の1人として活躍した大関、栃東関
玉ノ井部屋の師匠である元栃東関は昭和51年11月生まれの40歳で、関脇まで昇進した先代の元栃東関、且つ玉ノ井部屋師匠の二男です。ちなみに同じ昭和51年生まれには現九重部屋師匠の元大関千代大海関や現西岩親方で鳴戸部屋に所属していた元関脇若の里関など平成10年代を中心に幕内上位で活躍した力士が複数おり、このグループのことを「花のゴーイチ組」と呼ぶこともあります。
栃東関は、少年時代は野球と水泳を経験した後、小学6年生の時に相撲に転向しました。そして高校横綱を決めた後の平成6年九州場所に高校3年生で玉ノ井部屋に入門しました。即ち、父親から師匠に立場が変わったことになります。入門してから1年半後には関取の座を掴み、丁度20歳になった平成8年九州場所には早くも新入幕を果たすなどのスピード出世でした。しかもこの場所は10勝を上げて敢闘賞を受賞しました。そして、その間、序ノ口から十両まで全ての階級で優勝をする珍しい記録を出すほどの実力を持っていました。
ここまでのスピード出世ができたのは、右四つになってからの寄りや、前廻しを引いてからの出し投げといった強みに加えて、押し相撲の正攻法から、まず相手をかわしてから、おっつけて押し出すなどの方法まで様々な相撲を取ることができたことが1つの要因とされています。
出典:大関栃東が現役引退へ/7日発表、体調面の不安で | 大関栃東が現役引退へ/栃東 大関栃東 | 四国新聞社
栃東関は、関脇に昇進するまではスピード出世でしたが三役に定着して1年後の平成10年春場所で右肩を剥離骨折する大怪我を負ってしまったり、同じ個所を脱臼したりするなど多くの怪我で苦戦を強いられました。これは、元々体が硬かったことが主因と考えられることです。しかし、それでも自分の強みを活かした相撲で大怪我から約4年弱を得て大関に昇進することができました。しかも、新大関の場所は13勝を上げて初の幕内最高優勝を果たしています。最終的に3回、幕内優勝を果たしましたが、大関に上がった後も怪我が多発したため、休場などが多くなり、昇進から2年後の平成16年には2回も大関から陥落してしまいました。それでも次の場所で10勝を上げて2度とも大関に復帰しています。このような経験をしているのは栃東関のみとなっています。
大関には通算で5年間在位していましたが、今から10年前に脳梗塞を過去に起こした痕が残っていたことが判明したため、惜しまれながら現役を引退しました。まだ30歳の若さですが、本人が悔いはないと引退会見で述べていたことを覚えている方もいるかもしれません。引退後は栃東の四股名のまま親方として後進の指導にあたり、2年後に先代師匠の定年に伴って部屋を継承しました。ちなみに大関まで昇進した場合、引退後3年間は四股名のまま親方として残ることができる特権があります。
栃東関が師匠を務める玉ノ井部屋について
その玉ノ井部屋は、東京都足立区内に部屋を構えており、近くには西新井大師があり、最寄り駅も、ここと同じ東武線の大師前駅か、日暮里・舎人ライナーの西新井大師西駅となります。また、少し足を伸ばせば舎人公園にも行けます。
玉ノ井部屋には現在、関取は部屋の地元出身の富士東関とモンゴルウランバートル市出身の東龍関の2人おり、共に昭和62年生まれの29歳で、幕内力士となっています。また幕下以下の力士を含めると計27人の力士が在籍する大所帯となっています。朝稽古の様子は後援会の会員が優先となっていますが、春場所等の、地方場所の宿舎では一般開放されており見ることができます。
出典:郷土料理/ちゃんこ鍋(玉ノ井部屋風)・東京都 – クッキングレシピ – 公益財団法人日本食肉消費総合センター
玉ノ井部屋のちゃんこ鍋で有名なのは、塩ちゃんこです。鶏ガラベースに鶏もも肉を使っている点は相撲部屋ではベーシックですが、ここにベーコンやウインナーが加わり、ニンニクや韮も入っているので塩ダレの効いたさっぱりとした味になります。場合によっては豚バラ肉を用いたり、けんちん汁のような味付けになったりするなど柔軟に変えているそうです。ちなみに、この塩ちゃんこ鍋は2年前から一部のイオンの店で一般発売されています。