友綱部屋と親方・関取
元魁輝関が師匠を務める友綱部屋について
現在の師匠である元魁輝関が部屋を継承した友綱部屋は墨田区業平に部屋があり、5年前に出来た東京スカイツリーへは歩いて10分もかからない位置です。国技館へも2駅分ぐらいの距離なので自転車などで通うことが可能となっています。
現在、友綱部屋には魁聖関を始め、関取が4人と幕下以下の取的が8人の計12人の力士が在籍しており、力士の四股名に魁の字をつけることが多くなっています。なお、5年前に大島部屋から転籍した旭日松関等の力士は旭の字が四股名についていることが多いです。力士以外にも行司が2人、呼出しが3人、床山が1人も所属しており、少なくとも20人が部屋で共同生活を営んでいます。なお、おかみさんは先代友綱部屋師匠の娘さんとなっています。友綱部屋のちゃんこ鍋は一般的な、ちゃんこ鍋のように肉類や魚類などの主菜を混ぜたりはせず、主菜から他の具材を決めていくスタイルを取っているのが特徴です。
なお、友綱部屋では一般の稽古見学が行われていないので注意が必要です。
友綱部屋の師匠、元魁輝関
現在の友綱部屋の師匠は元関脇の魁輝関で、昭和27年6月生まれの64歳なので、今年の名古屋場所前に定年を迎えることになります。昭和40年秋場所に元小結の巴潟関が師匠を務める当時の友綱部屋に出身の青森県から上京して入門しました。当時は13歳の中学1年生ですが、この6年後まで中学生でも相撲部屋に入門できる仕組みだったため問題にはなりませんでした。しかし、序ノ口で勝ち越して序二段に上がるまでに1年かかったり、新入幕を果たすまで10年かかったりするなど、ゆっくりとしたスピードでの出世となりました。その間に培って得た、右四つに組んでからの寄りや突っ張りの強みを活かして、ほぼ11年間も幕内に定着しました。その中でも昭和54年名古屋場所で敢闘賞を1回取って、その次の場所で関脇に昇進したり、昭和の大横綱の1人である第55代横綱北の湖関を始め、第56代横綱若乃花関と第59代横綱隆の里関からそれぞれ金星を上げたりする活躍を見せました。
現役を引退して2年間は高島親方として友綱部屋の部屋付き親方として経験を積んだ後、当時の師匠だった元十両一錦関が定年を迎えたことにより、彼の後継者として平成元年の夏場所後に部屋を継ぎました。ここで、現浅香山部屋師匠の元大関魁皇関を育てた実績を持っています。
角界のレジェンドとして知られる元旭天鵬関の大島親方
友綱部屋で部屋付きの親方として後進の指導に当たっているのが、元旭天鵬関の大島親方です。旭天鵬関は昭和49年9月生まれの42歳で、相撲界に入るまではバスケットボールを経験していましたが、柔道など相撲に近い競技は未経験でした。
元大関旭國関である先代大島部屋師匠のスカウトを受けて来日し、そのまま入門したのは今から25年前のことでした。これがモンゴル出身力士として初のケースとなっています。ちなみに、この時同じようにして入門した力士には元小結の旭鷲山関など5人がいましたが、入門して半年後に全員で部屋を脱走してモンゴルに帰った後、師匠に説得されて戻ったという逸話は有名です。
旭天鵬関というと史上最年長記録を次々と作ったことで有名であり、記憶に新しいと思いますが、この事から遅咲きの印象を持っている方がいるかもしれません。しかし、入門から4年で関取、凡そ6年で新入幕を果たしており、その当時23歳だったことを考慮すると大体、標準的なスピードで昇進したことになると思われます。旭天鵬関は相手と組むことができれば、そこから廻しを引きつけて土俵の外へ寄り切れるという強みを持っていて、それは左右どちらの四つの体勢になっても同じです。この強みを活かした相撲で、第67代横綱武蔵丸関と第68代横綱朝青龍関から1つずつ金星を取ったり、40歳を超えても、この力の強さを存分に発揮したりしていました。そして最高位として関脇まで昇進することができました。ちなみに相撲界では、この事は「なまくら四つ」と呼ばれていて、どっちもつかずという印象から、あまり好意的に捉えることが少ないです。
旭天鵬関が成し遂げた記録として、幕内最高優勝を5年前に37歳8か月で、平成26年九州場所で敢闘賞を40歳2か月で、幕内最終勝ち越しを40歳8か月で達成したなどが挙げられ、これらは全て史上最年長記録として残ります。さらに幕内通算出場1470回も史上1位の記録として残っています。
このように長年にわたって幕内で相撲を取れたのは体のケアと基礎の稽古を十分に熟したことが挙げられます。これによって怪我をすることが殆どなかったことが要因と考えられます。
先生を経験し、軽量を活かした相撲で有名な元智乃花関の玉垣親方
友綱部屋には大島親方以外にも、もう1人部屋付きの親方がおり、それが元智乃花関の玉垣親方です。智乃花関は昭和39年6月生まれの52歳で、熊本県の八代市で生まれました。日本大学時代に全国学生相撲選手権大会などの大会で主将を務めるなどの活躍を見せましたが、大学を卒業した30年前に高校などで保健体育の先生として働き始めました。その間もアマチュアの相撲大会などに出場し続け、5年後の平成4年春場所にアマチュア横綱などの実績を評価されて幕下付け出しとして元関脇羽黒山関が師匠を務める立浪部屋に入門しました。その当時、既に27歳で、相撲界では既に中堅に位置づけられる年齢でした。さらに子供も既に持っていたことから異例の相撲部屋入門となったことで話題になりました。教師を経験しての入門だったことから先生というあだ名が付けられたほどです。
相撲界に入門すると、右四つからの下手投げや捻り等の強みをすぐに発揮し、僅か1年強で新入幕を果たしました。幕内の土俵では、この強みだけでなく、体重117kgの軽量を活かした多彩な技を見せたことでも有名で、自滅のリスクが高い居反りを決めたり、入幕した平成5年のうちに2回も技能賞を獲得できたりしていました。これは当時活躍していた元小結の舞の海関と近い取り組みスタイルだったと言ってよいと思います。最終的には小結まで昇進する実績を残して、平成13年秋場所後に引退し、現役生活を9年半で終えました。
ブラジル出身として有名になっている魁聖関
魁聖関は昭和61年12月にブラジルサンパウロ市で誕生しましたが、祖父母が日本人の日系3世だったため、3年前に日本国籍を取得した力士です。四股名の通り、現在は友綱親方が育てた唯一、現役で活躍している関取となっています。ブラジルというとサッカーのイメージが強いと思いますが、魁聖関も少年時代はサッカーをやっていましたが、あまり好んでやっていなかった可能性があります。元々体が大きかったため、高校生のときに地元のアマチュア相撲に勧誘されたのが相撲を始めるきっかけでした。そこでは全国選手権大会で優勝するほどの実力と、相撲をやっているときの楽しみという2つのメリットを得ることができました。そして同じブラジルサンパウロ出身で、玉ノ井部屋に所属していた元十両の若東関の紹介を得て、平成18年秋場所に19歳で友綱部屋に入門しました。
出典:http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile?id=2950
魁聖関は入門した当時から現在の身長である195cmに近い状態だったため、幕下一歩手前までは順調に出世していきましたが、1回壁にぶつかってしまいました。しかし、それも半年後には解消し、入門から丸4年で関取の座を掴み、その翌年の5月場所で新入幕を果たすことができました。この当時は25歳でした。ちなみに、この場所は所謂、技量審査場所と呼ばれる異例の体制で行われた場所でした。本来は平成23年春場所が新入幕でしたが、この年の初頭に八百長問題が発覚して中止になった為、1場所延期のあおりを魁聖関が食らってしまったことになります。しかし、その場所で10勝以上を上げて敢闘賞を受賞しました。
魁聖関の強みは身長だけでなく体重も200kg近くある大型力士であるため、右四つに相手を組みとめて左から上手を取ることができれば圧力をかけて寄り切ることができる点が挙げられます。ただ、長身であるため、重心が高く、土俵際に回られて逆転負けを喫することもあるという弱点もあります。このため、敢闘賞を2回上げていますが、今まで金星を上げた事はありません。それでも昨年はブラジル出身として初の関脇に昇進するなど、三役を半年連続務めるなどの実力を持っているので、この後も期待できそうな力士です。
大島親方と似た経験・相撲内容を持つ旭秀鵬関について
旭秀鵬関は昭和63年8月生まれの28歳で、モンゴルの首都ウランバートル市出身の関取です。少年時代はモンゴルでバスケットのみ経験していた点は大島親方と共通しています。高校に進学する際に、柔道留学を目的として日本にやってきました。この柔道経験から相撲に興味を持つようになりました。そして親戚の伝手から大島親方のスカウトを受けることができ、高校卒業後の平成19年夏場所に、当時の大島部屋に入門しました。ちなみにこの際、留学費が国費で賄われたため、入門の際に多少問題が生じていました。
入門してから4年余りで関取に昇進し、半年後の平成24年初場所で新入幕を果たすなど、順当に出世していきましたが、その半年後に十両筆頭の番付にも拘らず、1場所で幕下に陥落するという、99年ぶりの不運に遭ってしまいました。その場所は中日で途中休場し、1勝も挙げていませんでした。
しかし、そこから先は十両優勝を経験するなどし、関取として定着できるほどの実力が付くようになり、今年の初場所では東十両2枚目で勝ち越しており、再び幕内に返り咲く可能性があります。そのような旭秀鵬関は左右問わず相手と組むことができれば、そこから一気に寄り切ったり、上手や下手から投げたりすることができる強みを持っており、これは先述した旭天鵬関と似たようなところがあると思います。これに加えて突っ張りもできるため、実力を高めれば幕内の上位で活躍する可能性があります。
今のソルトシェーカーである旭日松関
旭日松関は平成元年7月生まれの27歳です。千葉県の野田市出身で、小学校入学前からレスリングを経験しており、全国大会で優勝するほどの実力がありました。中学校卒業と共に大島部屋に入門しました。相撲が未経験だったため、関取に上がるまで7年近くかかったものの、それ以降は幕下に落ちることなく関取に定着し、幕内も4場所経験しています。
旭日松関の特徴というと、相撲内容よりも大量の塩巻きではないかと思います。これで十両の土俵を楽しませてくれます。過去には現錦戸部屋師匠の元水戸泉関や、現式秀部屋師匠の元北桜関が行っており、これに続く形となっていますが、塩巻きを始めたきっかけは5年前の夏場所で初日から10連敗した際に、相手が怯むことを期待して始めたものであり、先述した2人の影響を受けて始めた可能性が低いところも興味深い点だと思います。
関取に定着してきた道産子力士旭大星関
旭大星関は平成元年10月生まれの27歳です。少年時代は柔道と野球を経験していますが、相撲歴はありませんでした。特に柔道の実力は高校に特待生で入学できたほどでした。高校3年生の時に先代の大島親方のスカウトを受けて、当時の大島部屋に入門しました。友綱部屋に転籍するまでは軽量だったため、昇進するのに時間がかかったものの、転籍して環境が変わると幕下に定着するようになり、相撲界に入って6年半後の平成26年夏場所で好成績を上げて、関取の座を掴むことができました。当時、間垣部屋に所属していた元十両の若天狼関以来の北海道出身関取が誕生したことで話題になりました。
昨年頃から前廻しをつかんだ後の出し投げを得意にする相撲内容で十両に定着するようになり、今年の初場所では自己最高位の東十両7枚目で8勝を上げるなどし、新入幕に向けて期待できる力士の1人となっています。