舛ノ山と千賀ノ浦部屋

平成生まれ初の関取で、ハンデを背負って土俵に立つ舛ノ山とは

現在、千賀ノ浦部屋で関取を経験した力士は舛ノ山がいます。その舛ノ山は平成2年11月生まれの26歳で、少年時代から相撲中心の生活を送っていましたが、卓球も経験していました。相撲の実力は中学時代にアマチュアの全国大会に出場するほどの持ち主で、その頃に千賀ノ浦部屋を見学していた縁から、中学卒業して少し経った平成18年名古屋場所で角界の門を叩き、初土俵を踏みました。

舛ノ山の強みは身長と体重がほぼ同じ数値である、あんこ型の体型を生かした突き押し相撲で、入門してから4年半近くで関取の座を掴み、トータル5年ほどで新入幕を果たすほどの実力を有するようになりました。そして、2度目の入幕だった平成24年名古屋場所では11勝を上げて初の三賞として敢闘賞を受賞できました。ちなみに新十両に昇進した時は田子ノ浦部屋所属の高安関と同じ平成生まれ初の関取として一時話題になりました。

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舛ノ山でもう1つ有名なのは、生まれつき肺が小さいハンデを背負いながら相撲を取り続ける姿勢ではないかと思います。このため十数秒以上の相撲を取り終えた後には必ず息が上がって退場していく姿を毎場所のように見られ、周囲からは「20秒しか戦えない力士」として呼ばれるほどでした。関取として4年半ほど安定して相撲を取っていたものの右膝を脱臼したり、前十字靭帯を損傷したりする大怪我を負ってしまい、2年前の夏場所以降関取の座から完全に陥落してしまいました。1年近く休場した後、昨年の秋場所では序ノ口優勝をする等、少しずつ復調しつつある力士となっています。

舛ノ山を育てた先代千賀ノ浦部屋師匠、舛田山関の紹介

その舛ノ山を育てた先代の千賀ノ浦部屋師匠が、元舛田山関です。舛田山関は昭和26年4月生まれの65歳で、少年時代は野球を経験した後、中学生から相撲に専念し、その実力は高校や大学の相撲選手権大会で優勝したり準優勝したりするほどだったことを評価されて大学卒業後に幕下付出として第44代横綱栃錦関が師匠を務める春日野部屋に入門しました。

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舛田山関は立ち合いでぶつかった後、おっつけで突き放す力が強いことを利用した突き押し相撲が得意としており、この強みを活かして入門して1年も経たない昭和50年初場所には関取の座を掴み、その後2年弱で新入幕を果たしました。そこから引退するまでの約12年間関取として活躍し、特に昭和57年名古屋場所で昭和の大横綱の1人である第58代横綱千代の富士関を倒して殊勲賞での三賞を獲得したり、三役を4場所経験したりするほどの実績を残しました。そして平成元年名古屋場所後に現役を引退した後は千賀ノ浦親方として春日野部屋に残って後進の指導に15年間務めた後、独立して千賀ノ浦部屋を興しました。

現在の千賀ノ浦部屋師匠、隆三杉関の紹介

現在、千賀ノ浦部屋の師匠を務めているのは元隆三杉関です。隆三杉関は昭和36年3月生まれの56歳で、少年時代は空手と柔道を中心としたスポーツ経験を持っていましたが、その傍ら相撲もやっていました。叔父の誘いと、所属の幕下力士の紹介を経て中学を卒業して直ぐの昭和51年春場所に第45代横綱若乃花関が師匠を務める二子山部屋に入門して初土俵を踏みました。ちなみにこの隆三杉の四股名は当時二子山部屋に所属していた元鳴戸部屋師匠で第59代横綱の隆の里関と、元間垣部屋師匠で第56代横綱若乃花関が大関まで名乗っていた若三杉に因んでつけられたものです。

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隆三杉関の現役時代の体型は身長180cm近くに対し、体重が160kgで現在では平均に近い水準ですが、当時としては十分にあんこ型力士として属しており、この体型を活かしての突き押し相撲を得意としていました。この相撲などで入門してほぼ5年後には関取の座を掴み、その半年後の昭和56年名古屋場所では20歳という若さで新入幕を果たしました。その後は一時期幕下に陥落したこともありますが、現役を引退した平成7年九州場所までの12年間は安定して関取の地位を保つほどの実力を有しており、特に昭和62年九州場所では放駒部屋所属の第62代横綱大乃国関から金星を勝ち取ったり、平成3年と5年の初場所では、それぞれ小結まで昇進したりするなどの活躍はありました。

現役を引退した後は藤島親方として20年半の間、二子山部屋や貴乃花部屋で後進の指導を担当していましたが、その間、年寄名跡の交換などで音羽山親方と常盤山親方と計3回も名前が変わっていました。また、現役時代から歌がうまいことで有名で、前頭力士だった昭和59年には歌を出したり、福祉大相撲の歌比べに複数回出場したりするほどの実力があります。

所属師匠が変わった千賀ノ浦部屋とは

先代師匠の定年に伴って、昨年の夏場所前に当時の常盤山親方に対して先代師匠が後継者としての指名をしたことにより名跡を交換する形で部屋を継承して現在の千賀ノ浦部屋が誕生しました。これにより、これまでの出羽海一門から貴乃花一門に変更になっています。

その千賀ノ浦部屋は台東区橋場に部屋を構えており、歩いて程ない距離に隅田川があり、繁華街の1つである南千住界隈と浅草界隈の中間に位置しています。このため最寄り駅も若干遠い位置にありますが、そこから国技館へは乗り換え1回で凡そ25分で行くことができます。現在千賀ノ浦部屋には舛ノ山を始め、幕下では若手の舛ノ勝とハンガリー出身の舛東欧の2人、序二段力士7人の計10人の力士が所属しています。さらに裏方としては幕下2枚目まで昇進して4年前に世話人に就任した元栃の山と、行司2人、床山と呼出が1人ずつの計5人が在籍しています。先述した先代師匠も常盤山親方として引き続いて後進の指導に当たっているため、少なくとも17人が共同生活をしています。

千賀ノ浦部屋では事前に電話連絡すれば、後援会などに入っていなくても稽古見学をすることができます。さらに名古屋場所などの地方場所では事前連絡がなくても稽古見学ができるようになっており、飲食や私語禁止など基本的なルールを守れば、比較的見学がしやすい相撲部屋の1つではないかと思います。