旭里関と中川部屋

平成最初の関取、元旭里関の紹介

現在、中川部屋の師匠を務めているのが、現役時代、元大関旭國関が師匠を務めていた大島部屋所属の元旭里関です。旭里関は昭和40年11月生まれの51歳で、少年時代は野球と柔道を中心にスポーツ経験があり、特に前者は2年間エースを務めるほどの実力を持っていました。このように相撲経験はありませんでしたが、地元大阪で毎年3月に開催される春場所を機に相撲に興味を持つようになり、関係者の紹介から中卒後の昭和56年春場所に大島部屋に入門して初土俵を踏みました。

大相撲カード 1997年 BBM 旭里憲治<49> 大島部屋

旭里関は身長187cm、体重140kg台という恵まれた体格の持ち主で、右四つに組んでからの寄りや左からの上手投げを強みにしていて、立ち合いの速さに対応するなどの技術面を少しずつ改良した結果、入門して約8年後の平成元年初場所で関取の座を掴むことができました。この場所で関取になったのは旭里関だけだったため、平成最初の関取となりました。ちなみに、この場所は兄弟子に当たる元小結旭道山関と現伊勢ノ海部屋師匠で元北勝鬨関が平成最初の新入幕を果たしています。そして入門して丸9年後には新入幕を果たしたものの、怪我などの影響で、幕内の土俵では最高が7勝で勝ち越すことはできませんでしたが、4場所務める事ができたり、一度幕下に落ちても、幕下優勝して十両に復帰できたりするなど、関取として活躍していました。

旭里関は平成10年初場所後に現役を引退し、熊ヶ谷親方として大島部屋に残って後進の指導に当たっていましたが、6年後に元大翔山関が師匠を務める追手風部屋に移動した上、年寄株を中川に変更して、その追手風部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たりました。

元旭里関が師匠を務める中川部屋とは

中川部屋は元春日山部屋の再興と考えられます。現在の中川部屋は、元旭里関が去年の九州場所前に当時所属していた追手風部屋で事実上閉鎖された、元幕内濱錦関が師匠を務めていた春日山部屋の所属力士や裏方を直接指導することになったことがきっかけで、今年の初場所後に、そのまま引き受けることになって誕生したからです。

こうして誕生した中川部屋は元春日山部屋の施設をそのまま使っており、これまで通りに川崎市内に部屋があります。周辺には毎年初詣などで賑わう川崎大師や首都高速の大師ジャンクションなどがあり、多摩川へも歩いて行ける距離で羽田空港が近くに見える位置となっています。国技館へは最寄りの京急大師線の産業道路駅から一旦川崎駅に出る必要があり、最低2回乗り換えで行くことができます。

現在、中川部屋に所属している力士は幕下の高春日を始め、三段目には春光、義春日、春日龍、春日岫、春日国の5人、序二段には大国里、春日浪、大国旭の3人の計9人となっており、これらの四股名を見ると、多くが昔の春日山部屋の部屋名にちなんだ四股名を持っていることが分かると思います。力士の他に、幕内格でベテランの行司である式守与之吉、呼出が1人、床山が一等床山でベテランの床仁を始め2人、さらに春日山部屋に所属していた元幕下力士でベテランの世話人である白法山を含め、少なくとも16人が共同生活をしています。ちなみに春日山部屋が閉鎖される前はもっと多くの力士が所属していましたが、閉鎖に伴って14人が引退して現在の人数に至ります。

中川部屋のちゃんこ鍋は旧春日山部屋の引き継いでいる可能性があり、その場合は塩ちゃんこ鍋が有名になると考えられます。相撲部屋が川崎市内にあるのは中川部屋だけで、春日山部屋時代には同じ川崎市内を拠点としているサッカーチームに川崎フロンターレがあり、その本拠地でこのちゃんこ鍋を一般に振る舞っていたことがあるからです。ちなみに2年前は塩味の他に、醤油、味噌、カレー、キムチを含めて5種類のちゃんこ鍋が提供されていました。

このように色々と部屋関係の問題がありましたが、新体制の下、力士たちの活躍が期待される部屋でもあります。