井筒部屋と力士紹介
元関脇逆鉾関が師匠を務める井筒部屋とは
現在の井筒部屋は今から23年前に今の師匠が先代の師匠の定年に伴って継承されたもので、時津風一門に属しています。その井筒部屋は墨田区内の両国界隈に部屋を構えていて、近くには昔の両国国技館が立てられていた回向院や首都高速の両国ジャンクションがあります。また、隅田川にも近く、一之橋を渡ってしばらく進めば江東区に行くことができる所に位置しています。両国界隈なので、国技館へも徒歩十数分で行くことができ、周辺には春日野部屋などの部屋が点在しているため、出稽古などに比較的に行きやすくなっています。
現在、井筒部屋に所属している力士は横綱の鶴竜関の他に、一時期幕下に昇進した三段目力士の鋼、序二段力士の一の竜と鶴大輝の合計4人しかおらず、この他に一等床山の床鶴を含めても最低7人が生活する少所帯の部屋といえるのではないかと思います。関取になると付け人と呼ばれる身の回りの世話をする幕下以下の取的と言われる力士をつけることができ、横綱に昇進すると横綱土俵入りなどの用いられる荷物が多い上、警備の必要性が高まることから付け人を最高10人もつけることができますが、鶴竜関の場合は力士が自分以外に3人しかいないため、伊勢ノ海部屋や時津風部屋から力士を借りて補充しており、横綱土俵入りの際に伊勢ノ海部屋の勢関が太刀持ちなどを務めているのも、この為と考えられます。井筒部屋ではファンクラブの会員に入れば、部屋で本場のちゃんこ鍋を味わえる機会が得られますが、そうでなくても国技館の近くには井筒部屋で相撲を取っていた師匠の兄である元鶴ノ富士関がオーナーを務める、ちゃんこ屋があるので、そこで味わうことも可能となっています。
井筒3兄弟の二男である、現在の井筒部屋師匠、元逆鉾関の紹介
現在の井筒部屋の師匠である元関脇逆鉾関は昭和36年6月生まれの55歳です。逆鉾関の父親が先代の井筒部屋師匠で双差しの相撲で名を馳せた元関脇鶴ヶ嶺関、母親が元井筒部屋師匠の第25代横綱西ノ海関の孫娘という相撲一家の下で育ちました。中学を卒業して暫くした昭和53年初場所に父親の基に弟子入りする形で井筒部屋に入門して初土俵を踏みました。ちなみに兄は先述した元十両の鶴ノ富士関、弟は現錣山部屋師匠の元寺尾関で3人とも井筒部屋に入門して関取に上がっており、井筒3兄弟と呼ばれて一時注目されていました。
逆鉾関の強みは父親と同じく、立ち合いから双差しの体勢になってから、がぶり寄る相撲で双差しになるスピードが速かったことです。これだけでなく、左四つに組み止めた後に外掛けで崩して倒すことも得意にしており、相撲巧者と呼ばれたほどでした。ちなみに現在では相撲巧者と呼ばれている力士としては伊勢ケ濱部屋に所属している安美錦関などが挙げられます。これらの強みを活かして、入門して3年半後には関取の座を掴み、ほぼ5年で新入幕を果たすことができました。逆鉾関が活躍したのは主に昭和50年代後半から60年代であり、先代九重部屋師匠だった第58代千代の富士関が台頭していた時期と重なります。その間に、千代の富士関を始め、二子山部屋に所属で先代鳴戸部屋師匠だった第59代横綱隆の里関と立浪部屋所属の第60代横綱双羽黒関から金星を計7個獲得したり、先述の相撲巧者ぶりが活かされた形で技能賞を4回、殊勲賞を5回も受賞したりする活躍を見せました。また、3年間にわたって安定して幕内上位から関脇までの地位に定着するほどの実力を残し、このうち半分は連続して関脇の地位を務めるなどしており、次期大関候補として期待が大きかったです。時代が平成に入ると東関部屋所属の第64代横綱曙関などの大型力士が台頭してきたため、体重が130kgの逆鉾関にとっては厳しい局面に立たされるようになり、平成4年秋場所後に15年近く続いた力士生活を終え、春日山親方として井筒部屋に残り、1年半ほど後進の指導に当たった後、先代師匠の定年に伴って部屋を継承しました。
第71代横綱鶴竜関の紹介
現在、井筒部屋で唯一の関取で部屋頭を務めているのが、第71代横綱鶴竜関で昭和60年8月生まれの31歳です。少年時代は大学教授一家というモンゴル国内では所謂、お坊ちゃまのような裕福な家庭の基、育ってきたためスポーツもテニス・バスケットボール・レスリングなど幅広く経験することができ、当時視聴できた国内放送で流れた相撲中継がきっかけで大相撲に興味を示すようになり、中学卒業後に自ら相撲愛好会などに自己PR文を、大学教授を務める父親などに和訳してもらった上で送付し、その会との縁があった井筒部屋に入門することができました。ただし入国関連の手続きや、入門した当時体重が60kg台しかなかったことなどから初土俵は来日して半年後の平成13年九州場所でした。
出典: http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile?id=2416
鶴竜関の強みは右四つに組み止めたり、巻き替えた後に双差しの体勢に持ち込んだりしてからの下手投げであり、この他にも、相手と組まなくても突っ張りや引き技を決めることができます。このような強みなどを活かして入門して4年後には関取の座を掴み、そこから1年後には新入幕を果たしました。入幕してからは十両に落ちることなく、実力を伸ばしていき、2年後には幕内上位に定着するようになりました。このあたりから先述した強みが評価された形で三賞の1つである技能賞を7回も受賞する実績を残しました。そして今から5年前の春場所において13勝で優勝同点の成績と、半年間関脇で通算33勝を上げる安定した成績を残したことが評価されて大関に昇進しました。ちなみにこの期間で殊勲賞も2回連続して受賞しています。大関に上がった後は平均10勝前後の成績でしたが、昇進して2年後に2場所連続で14勝の成績を残し、このうち1回の幕内最高優勝を果たしたことで平成26年春場所後、第71代横綱に昇進できました。横綱昇進後は、左肩の腱板損傷や関節脱臼等の怪我で途中休場する場所も複数ありますが、2回の幕内最高優勝をするなどしており、横綱4年目に入る今年も井筒部屋伝統の技能相撲などで横綱の務めを果たし続けるかが注目される力士となっています。