水戸泉関と錦戸部屋
ソルトシェーカーのパイオニアとして人気だった元関脇水戸泉関の紹介
現在、錦戸部屋の師匠を務めている元水戸泉関は昭和37年9月生まれの54歳で、少年時代は柔道を経験し、初段まで上がるほどの実力でした。中学卒業前に先代東関部屋師匠の元関脇高見山関や当時高砂部屋の師匠を務めていた第46代横綱朝潮関の2人からスカウトを受けたことから、中学卒業後の昭和53年春場所に、高砂部屋に入門して初土俵を踏みました。
水戸泉関の強みは廻しを取らずに突っ張るなどの突き押し相撲や、左四つに組み止めてから身長195cm近くに対し体重が200kgの巨漢を活かして寄り切ったり、右上手から投げたりする力が強烈だったことです。これらの強みを活かして入門から6年後には関取の座を掴み、昭和59年秋場所には22歳で新入幕を果たしました。入幕して半年以内に11勝を上げて三賞の敢闘賞を受賞したものの、交通事故や取り組み中に左膝の側副靭帯を断裂したり、左脛の半月板を骨折したりする怪我を複数回負ってしまい、途中休場や全休をするなど成績が低迷し、1年間ほど十両に陥落してしました。復活した後もこれらの怪我に悩まされたものの、11年にわたって幕内の番付に定着する実力を示すことができ、このうち関脇など、三役を含めて1年間幕内上位の土俵で活躍した時期が2回ありました。特に印象的だったのが30歳目前の平成4年名古屋場所で、前頭筆頭で13勝を上げて敢闘賞を獲得し、幕内最高優勝を果たしたことでした。その次の場所も関脇で勝ち越すなどの実績を残しています。
十両に陥落してからも1年半もの間土俵を務めてきましたが、38歳になった平成12年秋場所中に現役を引退し、錦戸親方として2年ほど高砂部屋に残って後進の指導に当たりました。
水戸泉関で有名なのが、制限時間いっぱいになったときに大量の塩を撒いて観客を沸かせるパフォーマンスではないかと思います。これは、水戸泉関の付け人から勝ち星をあげるための方法の1つとして進められたことが、始めたきっかけの1つとされています。ちなみに、同じ時期に活躍した高砂部屋所属の元朝乃若関も同様に塩を下にたたきつけるスタイルの塩まきをしており、この両者が対戦した時には土俵が盛り上がっていました。水戸泉関と同じような塩まきで土俵を盛り上げた力士として現在式秀部屋師匠を務めている元北桜関や、現役では友綱部屋所属の旭日松関が挙げられ、これらの力士もソルトシェーカーと呼ばれていていることから、水戸泉関は大量の塩まきのパイオニアと言っても良いのではないかと思います。
元水戸泉関が師匠を務める錦戸部屋とは
錦戸部屋は、水戸泉関が引退して2年ほど経った平成15年初場所前に高砂部屋から独立して誕生させた部屋です。その錦戸部屋は墨田区亀沢にあるビル内に部屋を構えており、観光地として有名な東京スカイツリーに近く、国技館へは歩いて10分もかからない位置にあることから、両国界隈にある相撲部屋の1つとされています。ちなみに西隣には同じ高砂一門に属している八角部屋があり、出稽古にも行きやすくなっております。
錦戸部屋に所属している力士は、幕下の本多と三段目の極芯道、彩翁の3人となっており、行司・呼出・床山が1人ずつと高砂部屋に所属していた元小結闘牙関の千田川親方を含めて少なくとも9人が共同生活をする少所帯の部屋となっています。錦戸部屋では朝稽古の見学ができるようになっていて、インターネットのサイトで、この朝稽古とちゃんこ鍋を頂くツアーが組まれているところもあり、これを利用することでも朝稽古を見ることができる可能性があります。また、ちゃんこ鍋にはいろんな種類がありますが、お好み焼きの薬味に近い感じのつけダレにつけていただく湯豆腐ちゃんこやキムチちゃんこなど、バライティーが豊富な点が特徴です。また、おかみさんは1年前に結婚した、水戸泉関よりも22歳年下のソプラノ歌手です、これらの事から他の部屋よりも独自性が高い相撲部屋ではないかと思われます。