荒汐部屋と関取紹介
元小結大豊関が師匠を務める荒汐部屋とは
荒汐部屋は元小結大錦関が所属していた時津風部屋から15年前の名古屋場所前に独立して誕生させた部屋です。部屋は中央区日本橋浜町にあり、周辺には明治座や浜町公園があり、隅田川にも近い位置にあります。国技館へは最寄りの浜町駅から地下鉄を1回乗り換えて15分ほどで行くことができます。
その荒汐部屋には現在、幕内で活躍している蒼国来関の他に、幕下に4人、三段目に3人、序二段に4人在籍しています。また、この春場所に三段目付出として東洋大学出身の力士が入門したため、計13人の力士が所属していることになります。力士の他に行司と床山が1人ずつも在籍しており、少なくとも17人が共同生活をしています。ちなみに4匹の犬や猫を飼っており、これらも特別メンバーとして見なしているという独自性があります。なお、朝稽古の見学は一般客でも事前連絡して許可が取ることができればできる仕組みになっていますが、暫くは建物外からの見学になるので注意が必要です。
現師匠、元小結大豊関の紹介
現在、荒汐部屋の師匠を務めている元大豊関は昭和30年3月生まれの62歳で、少年時代は地元の新潟県でスキーや陸上競技などのスポーツを経験しました。中学卒業後は就職していましたが、知人の紹介によって元大関豊山関が師匠を務めている当時の時津風部屋に入門し、昭和48年九州場所に初土俵を踏みました。
出典: http://arashio.net/arashio.html
大豊関の強みは、左四つに組んだ後、あんこ型の特徴の1つである真ん丸とした腹を用いて寄り切るなどの寄りでありますが、入門したころは軽量だったり、怪我をし易かったりしたことなどから休場を経験するなどして昇進には時間がかかったものの、入門して7年ほどで関取の座を掴み、そこから1年半ほど経った昭和57年夏場所には27歳で新入幕を果たしました。そこから2年間は先述した強みを活かして、幕内の座に定着する実力を示すことができ、中でも唯一の小結の番付で迎えた昭和58年初場所には現二所ノ関部屋師匠で南海のクロヒョウとして知られている元大関若嶋津関を破るなどの活躍を見せました。しかし、その後は肘や肩などの怪我を多発したことなどから番付を下げてしまい、4年半ぶりに関取の座から陥落した後、活躍を見せてから、丁度4年後に当たる昭和62年初場所後に31歳で現役を引退し、荒汐親方として時津風部屋に残って後進の指導に15年半ほど務めました。
復帰後に活躍を見せている蒼国来関
現在、荒汐部屋で唯一の関取である蒼国来関は昭和59年1月生まれの33歳で、少年時代は地元の中国内モンゴル自治区でも普及しているモンゴル相撲とレスリングを経験し、その実力は、前者に置いては高校生に当たる年齢で全国優勝するほどでした。19歳の時に弟子をスカウトするために来中していた大豊関に自ら入門を志願し、これが認められる形で来日し、平成15年秋場所で荒汐部屋から初土俵を踏みました。
出典: http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile?id=2614
蒼国来関の強みは右四つに組んでから寄り切ったり、上手から投げたりすることで、この強みを少しずつ伸ばしていき、入門して6年半ほどで関取の座を掴み、入門して丁度7年後には新入幕を果たすことができました。6年前に起こった問題で2年半ほど角界から離れていましたが、30歳近い頃に復帰できました。復帰後は土俵に馴染むまで時間はかかったものの、約1年で元の番付に定着するほどの実力を示すようになり、その後は1回、取り組み中に右目付近の骨折などの怪我をして十両に落ちた以外は幕内の番付に定着するようになり、左四つの体勢でも強みを発揮できたり、双差しから攻めることができたりするなど技術面で向上するようになったことから、今年に入ってから先述の技術面が評価されるなどして三賞の技能賞を獲得できたり、伊勢ケ濱部屋所属の第70代横綱日馬富士関から金星を取ったりするなどの実績を残すことができるようになりました。この春場所には前頭2枚目まで上がり、この後の活躍が期待される力士の1人です。