尾車部屋と関取紹介
元大関琴風関が師匠を務める尾車部屋とは
尾車部屋は元大関琴風関が、今から30年前の昭和62年春場所中に所属していた佐渡ヶ嶽部屋から独立して誕生させた部屋です。その尾車部屋は江東区清澄に部屋を構えており、周辺には深川稲荷神社や清州橋などがあり、隅田川にも近い位置にあります。国技館へは最寄りの地下鉄大江戸線清澄白河駅から乗り換えなしで、15分ほどで行くことができるため、通いやすくなっております。
現在、尾車部屋には幕内で豪風関と嘉風関、十両で天風関の3人の関取が活躍しており、幕下以下の取的も、幕下に1人、三段目に7人、序二段に2人が所属しています。さらに、春場所までに2人が入門する流れになっているため、合計15人の力士が所属することになりそうです。ちなみに、四股名に師匠の四股名である琴風の「風」が後ろに付くことが多いという特徴があります。力士以外にも世話人を務めている元幕下力士の錦風と中堅の呼出と床山が1人ずつも所属しており、少なくとも20人が共同生活をしています。なお、尾車部屋では稽古見学は事前連絡すればできる可能性があります。尾車部屋のちゃんこ鍋で有名なものとしては、豚バラ肉と鶏団子など鶏肉が入った胡麻塩味のちゃんこ鍋があり、具材としては先述した肉類の他に大根・人参など豚汁で用いられることが多い野菜類が入り、ラーメンが入っているという特徴があります。味としてはあっさりとしているものの、胡麻と胡椒のスパイスが効いて美味しいという評判があります。
現在の尾車部屋の師匠、元琴風関の紹介
その尾車部屋を興した元琴風関は昭和32年4月生まれで間もなく還暦を迎えます。少年時代はスポーツ経験よりも学業優秀であるという特徴があり、中学2年生の時に佐渡ヶ嶽部屋に所属していた第53代横綱琴櫻関からスカウトを受けた事などから、地元三重県から上京して当時、元小結琴錦関が師匠を務めている、その佐渡ヶ嶽部屋から昭和46年名古屋場所に初土俵を踏みました。ちなみに、この琴櫻関は、この3年後に琴錦関が亡くなったことによって部屋を継承したため、琴風関の師匠として指導に当たったことになります。
琴風関の強みは左四つに組んでから、体重170kg以上のあんこ型の体型でがぶって寄り切る相撲で、この強みを活かして入門から4年半近くかけて関取の座を掴み、丁度5年半後の昭和52年初場所には19歳の若さで新入幕を果たしました。ちなみに琴風関が入門したのは、まだ中学2年生だったため、中学を卒業した昭和48年春場所までの間、東京の本場所は日曜日に開かれる3番しかとれなかったり、春場所、名古屋場所、九州場所の地方場所は出場できなかったりする制約がありました。なお、この強みは、がぶり寄りとも呼ばれており現在では、同じ佐渡ヶ嶽部屋所属で大関を今年初場所まで勤めた琴奨菊関の代名詞として知られています。
入幕した後も、この強みが活かされる形で番付を上げていき、半年後には幕内上位に定着する実力を有するようになり、関脇など三役を3場所務めたり、花籠部屋所属の第54代輪島関と昭和の大横綱の1人として知られている三保ヶ関部屋所属の第55代横綱北の湖関から計3回の金星を獲得したりするなどの活躍を見せました。ところが、入幕して約2年後の昭和53年九州場所の取り組み中に左膝の側副靭帯を断裂する大怪我を負ってしまい、半年以上休場せざるを得なくなってしまいました。それでもめげずに怪我を直した結果、1年ほどで再び古傷を悪化させるなどしたものの、2年ほどで、ほぼ復帰することができ、昭和56年初場所には輪島関と二子山部屋所属の第56代横綱若乃花関の2人から金星を上げる活躍をした以降は、関脇の番付に定着するようになり、昭和56年秋場所には24歳で12勝の好成績を上げて初の幕内最高優勝を果たし、半年間で31勝を上げた事などから、この場所後に大関に昇進することができました。ちなみに再発する前には敢闘賞などの三賞を半年連続で受賞する実績も残しています。ちなみに、この頃には細目と童顔だった見た目からケーキ屋さんで有名な不二家のマスコットキャラクターのペコちゃんに似ているとされ、このあだ名で呼ばれて一部から人気がありました。また、歌がうまいことでも有名で、レコードを現役中に4つもリリースし、このうち50万枚を売り上げたものもあったほどでした。
大関に昇進してからは平均10勝前後の成績を安定して収めたり、昭和58年初場所には14勝で2度目の幕内優勝を果たしたりするなど、十分に務めを果たし続けることができました。しかし、取り組み中に今度は右膝の側副靱帯を痛める怪我をするなどしたことから長期休場してしまい、3年半続いた大関から陥落してしまいました。結果として完治することができずに、再出場した昭和60年九州場所中に28歳の若さで現役を引退しました。引退後は、尾車親方として約1年間、佐渡ヶ嶽部屋に残って後進の指導に当たった後、独立して尾車部屋を興して現在に至ります。琴風関は部屋の運営を行っている傍ら、日本相撲協会の理事を5年前から務めていたり、NHKなどのテレビでの相撲解説に毎回登場したりして親方としての活動の幅が広いのも特徴の1つと言えると思います。
現役最年長の幕内力士である豪風関
尾車部屋で関取として活躍している1人である豪風関は昭和54年6月生まれの37歳で、少年時代は中学まで柔道中心の生活をしており、高校になってから相撲を本格的に始めました。地元秋田県から上京して中央大学4年生の時に全国学生相撲選手権大会で優勝した実績が評価されて、卒業後暫く経った平成14年夏場所で幕下付出として尾車部屋に入門して初土俵を踏みました。
出典: http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile?id=2489
豪風関の強みは身長が170cm程度の低い身長であることから、低い重心を利用して廻しを取らずに攻めていく突き押し相撲で、これに加えて柔道の経験を活かした一本背負いや内掛けなどの足技を得意としています。また、組んでも掬い投げなど投げを打つこともできます。これらの強みが活かされて入門して半年もたたないうちに関取の座を掴み、ほぼ1年後の平成15年春場所には新入幕を果たしました。この場所の取り組み中に右足関節を捻挫するなどの休場をしたり、目の病気を患ったりした影響で休場する場所があるなどしたものの、ここまでの12年間は安定して幕内の番付で相撲を取っており、この間に三賞の敢闘賞を2回受賞したり、伊勢ケ濱部屋に所属している第70代横綱日馬富士関から35歳の時に初金星をあげたりするなどの活躍を示しています。特に後者は史上最年長の初金星として話題になりました。また、関脇を含めて三役を3場所経験しており、現在も幕内上位で相撲を取っており、現在最年長の幕内力士ではあるものの、もう一度三役に上がれるか期待される力士の1人です。
30歳代になって実力を発揮して活躍している嘉風関
尾車部屋でもう1人の幕内力士として活躍している嘉風関は昭和57年3月生まれの35歳で、小学校高学年から相撲一本の生活を送っていました。その実力は地元大分県から上京して日本体育大学3年生の時に全日本相撲選手権大会に優勝してアマチュア横綱になったほどでした。大学を卒業する少し前の平成16年初場所に尾車部屋に入門して初土俵を踏みました。
出典: http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile?id=2650
嘉風関の強みも豪風関と同じく廻しを取らずに攻めていく突き押し相撲ですが、高速で突っ張って攻めたり、土俵際で相手の力を利用しながら攻めたりするタイプとなっています。この強みを活かして前相撲から相撲を取りましたが、入門して1年半で関取の座を掴み、その半年後には新入幕を果たしました。入幕後は2回ほど十両に落ちたものの、すぐに復帰し、10年前からは幕内に定着する実力を有するようになりました。嘉風関の場合、30歳を超えて幕内上位で活躍を見せるようになったという特徴があります。20歳代で三賞の敢闘賞を2回取っていますが、30歳を過ぎると取り組み中に左大腿四頭筋を断裂するなどの怪我を負って休場した場所も複数回ありましたが、ここ3年間で技能賞など、3種類ある三賞を2個ずつ獲得できたり、現役で活躍している宮城野部屋所属の第69代白鵬関から井筒部屋所属の第71代横綱鶴竜関から6個も金星を勝ち取ったりする実績を残しており、三役の番付において2回連続で勝ち越したこともありました。この春場所も前頭4枚目で勝ち越しており、30歳代後半を迎えましたが、活躍が期待できる力士と言えると思います。
土俵外でのムードメーカーである天風関
尾車部屋所属の関取として活躍している天風関は平成3年7月生まれの25歳で、少年時代は柔道中心の生活を送っており、その実力は中学には地元香川県を離れての柔道留学をするほどで、2年生の時に総体で優勝する実績を残しました。相撲は未経験でしたが、その後に琴風関のスカウトに応じる形で中学卒業後の平成19年春場所に、尾車部屋に入門して初土俵を踏みました。
出典: http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile?id=3002
天風関の強みは体重205kgの巨体を活かした、左四つに組んでから寄り切るなどの寄りで、得意の左四つに組むまでに突っ張って攻めることもあり、これを用いて相手を押し出すこともできます。これらの強みを活かして番付を少しずつ上げて行き入門して丸8年で関取の座を掴むことができました。それから現在までの2年間は関取の番付に定着する実力を示しており、特に去年の秋場所には25歳で新入幕を果たしています。ただ、あくまでも本命は左四つで、これ以外の相撲が取りきりにくい点や、腰が高い点などの技術的な面での問題は残っており、これを解決できれば幕内の土俵で活躍できる可能性があり、期待できる力士ではないかと思います。天風関は相撲内容よりもムードメーカーとして有名であるという特徴があります。例えば、巡業などの際に行われることが多い、子供と幕内力士とのふれあいの機会で、天風関は初っ切りのようなジョークなどを誘って会場の笑いを誘っていたり、ファンとのサインにはアドリブで対応したりするなど、花相撲など土俵の外ではユニークな性格をアピールしています。