湊部屋と関取紹介

元湊富士関が師匠を務める湊部屋とは

湊部屋は時津風部屋で部屋付き親方として後進の指導に当たっていた元小結豊山関が独立して35年前に誕生させた部屋で、定年退職する2年前に、部屋の弟子の1人だった元前頭湊富士関に師匠の座を譲って現在に至ります。

その湊部屋は、現在、埼玉県川口市内の住宅街の中に部屋を構えており、周辺には大型ショッピングモールや日曜大工専門店がある郊外に位置しています。最寄り駅は隣の蕨市にあるJR京浜東北線の蕨駅で、そこから国技館へは乗り換えが1回必要ですが35分で行くことができます。部屋までの所要時間は1時間弱となっています。

湊部屋に所属している力士は幕内で活躍している逸ノ城関を始め、三段目に5人、序二段に3人の計9人となっています。取的力士の四股名には湊竜、春湊、彩湊のように部屋の「湊」の字が充てられていることが多いです。また、この夏場所からは新弟子が2人加わる予定となっています。力士の他にもベテランの行司と床山の1人ずつが所属しており、少なくとも15人が共同生活をすることになります。

そのような湊部屋の女将さんは湊富士関と年齢が近い現役のお医者さんであり、今から17年前に結婚しました。また、部屋の近くにある老人ホーム併設のクリニック医院長の肩書も持っており、その多忙さなどがテレビなどのメディアで取り上げられるほどでした。湊部屋のちゃんこ鍋は色々ありますが、特徴があるものとしては、味噌ちゃんこ鍋で、ジャガイモが大きめにたっぷり入っているものがあります。ジャガイモ以外にも豚バラ肉や鶏団子の大根・人参など豚汁に入っているような野菜も入っていてボリュームが豊富な内容となっています。ちなみに、このちゃんこ鍋は地元の百貨店で取り上げられたこともありました。

現在の湊部屋の師匠、元湊富士関の紹介

現在、湊部屋の師匠を務めている元湊富士関は昭和43年7月生まれの48歳で、少年時代は柔道と相撲中心のスポーツ経験を有しており、後者は地元の群馬県の高校の相撲部の練習に参加するほどの実力がありました。そして中学卒業後に当時の湊部屋に入門し、昭和59年春場所に初土俵を踏みました。

大相撲カード 1999年上半期版 BBM 湊富士孝行<36> 湊部屋

湊富士関の強みは右四つに組んでから攻めることで、土俵際に下手投げで仕留めることも得意にしていました。これらの強みを部屋内の稽古だけでなく、出稽古に積極的に向かうなどすることにより徐々に身につけて行き、入門して約8年で関取の座を掴むことができ、それから1年半後の平成5年名古屋場所には25歳で新入幕を果たしました。入幕して1年後には幕内の土俵に7年間定着する実力を示すようになり、34歳で迎えた平成10年からの2年間は幕内上位の番付が中心になり、平成の大横綱の1人である二子山部屋所属の第65代横綱貴乃花関から2回金星を獲得する実績を残しただけでなく、武蔵川部屋所属の第67代横綱武蔵丸関から金星を上げたり、三賞の敢闘賞を1回獲得したりする活躍を示しました。しかし、取り組み中の怪我で途中休場した後は成績が低迷するようになり、2年半後の平成14年秋場所前に39歳で現役を引退し、立田川親方として湊部屋に残って8年ほど後進の指導に当たった後、部屋を継承して現在に至ります。

幕内デビューの大活躍が印象的に残っている逸ノ城関

現在、湊部屋で唯一、関取として活躍している逸ノ城関は平成5年4月生まれの24歳で、出身地のモンゴルで遊牧民として少年時代を送っており、スポーツ経験は地元のモンゴル相撲と柔道で、前者は中学生に当たる年に県大会で優勝するほどの実力を持っていました。17歳の時に宮城野部屋所属で幕内力士として活躍している石浦関の父親のスカウトを受けて、来日して鳥取城北高校の相撲部に入って、四股やテッポウなどの基本的な技術から実践までを磨いてきました。在籍したころから大会のタイトルを5つ獲得するほどの実力をつけた上で、高校卒業後に入った実業団でアマチュア力士として活躍し、1年目の時に全日本実業団相撲選手権大会を優勝する実績を残したことで幕下15枚目格付出としての評価を受けることができ、平成26年初場所に20歳で湊部屋に入門して初土俵を踏みました。ちなみに遊牧民出身である点と、外国人の幕下付出デビューである点は、いずれも史上初の出来事として入門した時には一時話題に上がるほどでした。

出典: http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile?id=3498

逸ノ城関の強みは身長192cmで体重210kgを超え、下半身の太いあんこ型の体格を活かして、右四つに組んでから、胸を合わせて引きつけながら寄っていく相撲内容です。この強みはプロの世界でもすぐに通用し、入門してから負け越すことなく番付を駆け上がり、入門した年の夏場所には関取の座を早くもつかみ、秋場所には21歳で新入幕を果たしました。しかも、この場所で、いきなり13勝の好成績を残したことにより三賞の殊勲賞と敢闘賞の2つを獲得する実績を上げました。ちなみにこの場所では田子の浦部屋所属で第72代横綱稀勢の里関と境川部屋所属の大関豪栄道関を倒して、所謂、銀星を挙げただけでなく、井筒部屋所属の第71代横綱鶴竜関から金星を獲得する大活躍を見せています。そしてその次の場所では早くも関脇の番付に上がり、ここでも勝ち越すことができました。このようなスピード出世と実績の記録は、いずれも史上最速記録を更新しただけでなく、似たようなスピード出世を果たして「平成の怪物」と呼ばれていた現藤島部屋師匠で当時武蔵川部屋に所属していた元大関武双山関に因んで「モンゴルの怪物」と呼ばれるようになりました。

そこから1年間は幕内上位の番付に定着して伊勢ヶ濱部屋所属の第70代横綱日馬富士関からも金星を上げる活躍もしましたが、立ち合い時に腰が高い点があるなどの弱点が見えてしまったことや、椎間板ヘルニアの治療で全休したことなどから成績が低迷していますが、今年に入って体重を15%ほど落とすなどの肉体改造に務めるなどして、再び強みを活かした相撲が出るようになっており、幕内上位への復帰が期待される力士の1人です。