琴欧洲関と鳴戸部屋
欧州初の幕内最高優勝を果たした元大関琴欧洲関の紹介
今年4月に鳴戸部屋を興した元琴欧洲関は昭和58年2月生まれの34歳で、少年時代はレスリング中心のスポーツ経験を有し、その実力はヨーロッパ地域のジュニアチャンピオンに輝くほどでした。相撲は英語でジャパニーズ・レスリングとも略されていることほど両者は似通っているスポーツであるため、琴欧洲関もレスリングと並行して相撲もやっていました。そしてドイツに在住していた部屋の元床山との縁から地元のブルガリア共和国の中部に位置するヴェリコ・タルノヴォ市から来日して第53代横綱琴櫻関が師匠を務める佐渡ヶ嶽部屋に入門し、平成14年九州場所に初土俵を踏みました。
琴欧洲関の強みは右四つに組んでから、逆の上手を取って投げたり、寄り切ったりする相撲であり、この組手が逆になっても、上手を取ればこのような内容を取ることができることが多くありました。また、両方の上手を取って引き付けながら攻めていくことも得意でした。このような強みを活かして負け越すことなく、番付を上げて行き、入門して1年半後には関取の座を掴み、そこから半年弱、経った平成16年秋場所には新入幕を果たしました。ちなみに、この頃から地元ブルガリアの名前を冠したヨーグルト製造会社の化粧まわしをつけて幕内土俵入りをするようになりました。
入幕後も実力を発揮し続けることができ、2場所目で11勝の好成績を収めて三賞の1つである敢闘賞を受賞して以降は、引退するまで幕内上位の番付に定着する実績を残しました。大関に昇進するまでに負け越したのは1回だけで、それ以降は10勝以上の好成績で三役に上がると、すぐにその地位において半年間で36勝の成績を収めたり、三賞の殊勲賞と敢闘賞を2回ずつ連続で獲得したりする実績が評価されて、入門して丸3年後には大関に昇進することができました。これは入門時にある程度の実力が認められて与えられる付け出しデビューを除けば史上最速記録での大関昇進となりました。ちなみに対象期間中に13勝を上げて優勝決定戦にも進出しています。大関に昇進してからは、稽古中に右膝や右足首を痛めてしまったり、精神的な重圧による負担が圧し掛かったりするなどしたため、2桁の白星を挙げることが難しくなったり、休場したりしてしまいました。しかし、体重増加や精神的克服などに努めた結果、大関に昇進して2年半後の平成20年夏場所には14勝の成績を収めて唯一の幕内最高優勝を果たしました。これはヨーロッパ出身力士としては史上初の快挙で当時話題になりました。この後1年間は2桁の安定した白星を収め続けられたものの、古傷などの影響で途中休場などが相次ぐなど成績が低迷し、丸8年勤めた大関から陥落して暫く経った平成26年春場所中に31歳で現役を引退し、1年間は琴欧洲として佐渡ヶ嶽部屋に残って後進の指導に当たり、後に鳴戸親方に名前が変わっても2年間は部屋付き親方として指導を続けていました。
元琴欧洲関が師匠を務める鳴戸部屋とは
今年誕生した鳴戸部屋は、琴欧洲関が引退して3年後に佐渡ヶ嶽部屋から独立する形で興した部屋です。その鳴戸部屋は墨田区横川に部屋を構えており、周辺には観光スポットとして有名な東京スカイツリーや大横川親水公園などの自然施設があり、国技館へは近くのJR錦糸町駅から1駅で行くことができたり、徒歩でも30分もかからずに行くことができたりします。なお、この部屋はまだ仮住まいの状態で、2年後に部屋を正式に作る予定になっています。
鳴戸部屋に所属している力士は序二段の琴小林をはじめ若手力士3人ですが、部屋のスタートの場所になる今年の夏場所からは、琴欧洲関と同じブルガリア出身で同じ実績を残した20歳の新弟子が入門する予定で少なくとも5人が共同生活をすることになり、今後の部屋の成長が期待される部屋の1つと言えるのではないかと思います。