山響部屋と関取紹介

元巌雄関が師匠を務める山響部屋とは

山響部屋のルーツは昭和の大横綱の1人として活躍した第55代横綱北の湖関が31年半前に当時所属していた三保ヶ関部屋から独立して誕生させた北の湖部屋で、一時は50人近い力士が所属する大所帯でした。その北の湖関が平成27年九州場所中に亡くなったことから、当時、部屋付き親方として後進の指導に当たっていた元前頭巌雄(がんゆう)関の山響親方が部屋を継承したことに伴って部屋の名前が山響部屋に変更して現在に至ります。

その山響部屋は現在江東区清澄に部屋を構えており、周辺には、清澄庭園や隅田川にかかる清洲橋などがあり、深川江戸資料館などの施設もあります。墨田区にある国技館へは最寄り駅の大江戸線清澄白河駅から2駅で行くことができるほどの近場に位置していることになります。なお、今年の夏場所から部屋は江東区東砂に移転することになっており、少し遠い位置になります。

山響部屋には現在、十両に北太樹関と北播磨関の2人の関取が活躍しているほか、幕下に2人、三段目に5人、序二段に5人の計14人の力士が所属しており、四股名の特徴として先述の2人の関取を始め、関取を務めた鳰の湖や彩の湖のように北の湖関の名からつけられた力士が多くなっています。なお、この夏場所には新たに1人の力士が加わる予定となっています。力士以外にも裏方さんと呼ばれる協会員が行司2人、呼出3人、床山1人の計6人も在籍しており、少なくとも23人が共同生活をしていることになります。山響部屋のちゃんこ鍋は様々なものがあり、味付けも塩味や味噌味など北の湖部屋時代の味が引き継がれているという評判もあるほどです。

現在の山響部屋の師匠、元巌雄関の紹介

現在、山響部屋の師匠を務めている元巌雄関は昭和458月生まれの46歳で、少年時代はバスケットボールや砲丸投げなどの球技のスポーツ経験がありました。中学卒業時に北の湖関のスカウトを受けて地元の兵庫県から上京して、北の湖部屋に入門し、昭和61年春場所で初土俵を踏みました。ちなみに巌雄関が本格的に相撲を始めたのは、この1年前で北の湖部屋に入門した最初の力士となりました。

出典https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%8C%E9%9B%84%E8%AC%99%E6%B2%BB

巌雄関の強みは身長180cm台に対して体重が170kgを超える、あんこ型の体型を利かして右四つに組んだ後に左上手を取って寄り切るなどの寄りで、土俵際などの叩きも得意にしていました。これらの強みを徐々に活かして、入門してほぼ6年後には関取の座を掴み、その4年後の平成8年春場所には新入幕を果たしました。入幕後は4年近くの間安定して幕内の番付に定着する実力を示し続け、数場所は幕内上位の番付でも相撲を取っていましたが、右膝の怪我などが影響して番付を下げていき、幕内から陥落して半年後の平成12年夏場所前に29歳で現役を引退しました。引退後は、このままの形で北の湖部屋に残って後進の指導に当たっていましたが、後に小野川親方として5年間を過ごした後、平成19年初場所前に、名前を山響親方に変更してから部屋を継承して現在に至ります。

山響部屋の部屋頭を務めている北太樹関

現在、山響部屋で関取の1人で部屋頭を務めている北太樹関は昭和5710月生まれの34歳で、スポーツ経験は水泳・サッカー・柔道と幅広くありましたが相撲は未経験でした。小学生時代に地元の東京都町田市に近い横浜での巡業先で、出会った縁を境に、北の湖関の複数回にわたるスカウトを受けて中学卒業後の平成10年春場所に当時の北の湖部屋に入門して初土俵を踏みました。

出典: http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile?id=1810

北太樹関の強みは、廻しを取らずに相手をおっつけて突き放してから攻めていく突き押し相撲で、攻めるまでの過程には立ち合い時にかち上げたり、喉元を責めたりすることもありました。土俵経験を重ねるごとに、左四つに組んでから寄り切るなどの寄りも強みに加わりました。さらに、足腰の強さを活かす形で土俵際でのうっちゃりで逆転勝利を収めることも得意にしていたのも印象的な力士です。

これらの強みを少しずつ活かす形で番付を上げていき、入門して9年半ほど掛って関取の座を掴み、じっくりと時間を掛けて番付を上げて行き、入門して10年半が経った、平成20年秋場所で遂に新入幕を果たしました。入幕後は幕内の地位に定着するのに時間はかかりましたが、27歳で迎えた平成22年夏場所に、前頭4枚目に昇進してから2年ほど、幕内上位の番付に定着する実力を示すことができました。幕内には6年ほど定着したものの、ここ1年間は十両に下がって土俵を務めている状態が続いていますが、立ち合いの威力は依然強いので再び幕内に返り咲くかが期待される力士の1人ではないかと思います。

花のロクイチ組の1人として十両で活躍している北播磨関

山響部屋の、もう1人の関取である北播磨関は昭和617月生まれの30歳で、現在、関取で最も多い昭和61年度生まれを指して呼ばれることがある「花のロクイチ組」の1人です。少年時代は柔道を経験した後、小学校高学年から相撲を本格的に始めました。中学生の時に出場した全国都道府県中学生相撲選手権大会に参加した際に、宿泊したことや、巌雄関と同じ地元出身であったことなどから、中学卒業後の平成14年春場所に兵庫県から上京して当時の北の湖部屋に入門し初土俵を踏みました。ちなみに同じで花のロクイチ組」として入門した力士の1人として、今年の初場所後に第72代横綱に昇進した田子の浦部屋所属の稀勢の里関がいます。

出典: http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile?id=2448

北播磨関の強みは廻しを取らずに攻めていく、突き押し相撲ですが、身長180cm台に対し、体重が120kgほどのソップ型の体型である上、関取になるまでは100kgもなかったことなどから実力が通じるまでに時間がかかりました。それでも、実力を積み重ねていき入門して10年近く経った平成24年初場所で関取の座を掴みました。関取昇進後も幕下上位との往復が続いたものの、3年後には関取の地位に定着するようになり、去年の名古屋場所では30歳で新入幕を果たすことができました。ここ半年は首の怪我などで低迷していますが、回復して、2度目の入幕を果たせるかが期待される力士の1人ではないかと思います。