佐渡ヶ嶽部屋の関取紹介

佐渡ヶ嶽部屋には師匠を務めるOBも多く輩出している名門相撲部屋である

現在、佐渡ヶ嶽部屋には琴奨菊関、琴勇輝関、琴恵光関の3人の関取を始め、幕下5人、三段目16人、序二段9人、序ノ口6人の取的と呼ばれている関取を目指す力士を含め40人近くの力士がいる大所帯となっており、特に、琴奨菊関は最近まで大関として活躍した実力者です。過去には琴櫻関は第53代横綱まで昇進するなど、大関以上を6人も輩出し、その中には、琴風関や琴欧洲関のように、現在は独立して相撲部屋の師匠を務めているOBも複数いるという特徴を持っています。今回は先述した、現在活躍中の3人の関取について紹介したいと思います。

平成20年代の、がぶり寄りの代名詞として有名な元大関琴奨菊関

現在、佐渡ヶ嶽部屋に所属している力士の部屋頭を務めている琴奨菊関は昭和591月生まれの33歳で、少年時代は相撲の他にソフトボールのスポーツ経験を有しており、後者では重要なポジションを経験できるほどの実力を持っていました。前者は小学生の中学年の頃から本格的に特訓を始め、中学生の時には地元福岡県から相撲の強豪校の1つとして有名な明徳義塾中学校に相撲留学して中学横綱に輝く実績を残しました。幼少のころから琴櫻関からのスカウトに応じる形で高校卒業直前の平成14年初場所に当時の佐渡ヶ嶽部屋に入門して初土俵を踏みました。

出典: http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile/?id=2423

琴奨菊関の強みは左四つに組み止めて、右の上手を取ってから身長180cm、体重180kg以上のあんこ型の体を密着させて寄って出る、所謂がぶり寄りであり、決まり手でも6割近くは寄り切りになっているほどです。この強みを活かして番付を上げていき、入門して2年半で関取の座を掴み、その半年後の平成17年初場所には21歳で新入幕を果たしました。ちなみに、今の四股名になったのは幕下時代で、それまでは本名に基づいた四股名でした。琴奨菊関は入幕後、1度十両に落ちただけでその後は安定して幕内の番付に定着することができ、1年半後には幕内上位の番付にも定着するほどの実力を身につけることができました。

入幕2年後には10勝の好成績を上げて三賞の1つである技能賞を始めて獲得したり、関脇を含む三役に昇進することもでき、取り組み中に右膝の靭帯を傷めたり、右足の関節を捻挫したりして途中休場したものの、1年近く連続して、その地位を維持したこともあり、大関候補に推す声も出始めました。それから3年が経った平成23年秋場所で12勝の好成績を収めることができ、この場所で三賞の殊勲賞と技能賞の2つを獲得することができた事や、半年間で33勝を関脇の地位で上げた事などが評価される形で場所後に29歳で大関に昇進することができました。ちなみにこの場所の終盤に平成の大横綱である宮城野部屋所属の第69代横綱白鵬関に対して自分の強みを最大限に発揮して破った相撲で大関昇進が確定的になったとされています。また、昇進伝達式の際の口上で四字熟語の万里一空を上げたことも当時話題になりました。

大関昇進後の琴奨菊関は、先述したようながぶり寄りの強みが上手を取らなくても相手の腕を抱えながらでも発揮されるほどの強さになっており、平成20年代のがぶり寄りの代名詞的存在と言っても良い程になりましたが、反面、立ち合いの変化や叩き込みなどの一瞬の内容に屈してしまったり、取り組み中に左膝の靭帯や右の大胸筋を断裂するなどの大怪我を負って場所を皆勤で出場することが難しくなってしまったりした結果、勝ち越すことが難しく、カド番を何回も経験するようになってしまいました。それでも32歳直前で迎えた去年の初場所では14勝の好成績を収めて、遂に幕内最高優勝を果たしました。この優勝は日本出身力士として現玉ノ井部屋師匠を務めている元大関栃東以来10年ぶりのものとして当時、話題になりました。その後は、体力の衰えや先述の怪我などの影響で皆勤出場や勝ち越が難しくなり、優勝の1年後に当たる今年の初場所で5年以上勤めた大関から陥落してしまいました。それから半年ほどが経ちますが、現在でも三役からは陥落しておらず、引き続き強みが活かされる相撲で観客を沸かせられるかが期待される力士の1人です。

突き押し相撲で再び三役に上がれるかが期待される琴勇輝関

佐渡ヶ嶽部屋の幕内で活躍している力士のもう1人である琴勇輝関は平成34月生まれの26歳で、少年時代から相撲中心の生活を送っており、中学生のときに練習環境を求めて転居し、高校では全国高体連の海外遠征メンバーに選ばれたり、国体などで優秀な成績を収めたりするほどの実力を有しており複数の相撲部屋からのスカウトがあったほどでした。高校2年生の時に部屋主催の合宿に参加して興味を持ったことなどから、その学年で中退し、平成20年春場所に佐渡ヶ嶽部屋に入門して初土俵を踏みました。

出典: http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile/?id=3083

琴勇輝関の強みは身長175cm、体重170kg以上のあんこ型の体型を用いて立ち合い時に両手で一気に突き出したり、押し倒したりすることであり、この強みを活かして番付を上げていき、入門して3年半後には関取の座を掴み、入門して5年ほど経った平成25年初場所には21歳で新入幕を果たしました。ちなみに今の四股名は入門して1年後に幕下に昇進した際に改名されたものであり、それまでは本名に基づいた四股名で相撲を取っていました。入幕して1年弱が経った頃、取り組み中に左膝の前十字靱帯を痛める大怪我を負ってしまい、2場所も休場せざるを得ず、その後も十両での生活が続きましたが、大怪我から1年後に幕内に復帰して以降、2年半は安定して幕内に定着するほどの実力を示すようになり、特に去年は幕内上位の番付に定着して活躍し、特に入門して丸8年に当たる春場所では12勝の好成績を収めた上、伊勢ヶ濱部屋所属の第70代横綱日馬富士関を破って初金星と三賞の1つである殊勲賞を同時に獲得する快挙を見せました。その次の場所から2場所連続で関脇を含む三役を務めることもできました。ちなみに、琴勇輝関は数年前までは、立ち合い前に「ホゥ!」と一声かけるルーティンで一時話題になりましたが、審判などの注意から現在は行っていません。しかし、手だけが先行する突きになっている点や、先述したようなあんこ型の体型で膝に負担がかかっている点などから今年は十両に近い地位になっており、これらの点を克服して再び三役を含む幕内上位で活躍できるかが期待される力士の1人です。

ここ1年で関取に定着できるようになった琴恵光関

現在、佐渡ヶ嶽部屋で十両力士として活躍している琴恵光関は平成311月生まれの25歳で、少年時代は祖父が立浪部屋に所属していた元十両松惠山(まつえやま)関だったことなどから相撲中心の生活を送っていました。また同時に柔道のスポーツ経験もあり県大会の団体優勝に貢献したり、特待生として強豪高校のスカウトを受けることができたりする実力を有していました。中学3年生の時に部屋の稽古見学で興味を持ったことなどから、卒業後の平成19年春場所に地元宮崎県から佐渡ヶ嶽部屋に入門し、初土俵を踏みました。

出典: http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile/?id=3012

琴恵光関の強みは右四つに組んでから寄り切るなどして攻めることや、廻しを取らずに押し出したり、突き落としたりすることであり、これらの強みを活かして少しずつ番付を上げていき、入門して8年弱でご当地場所に当たる平成26年九州場所に23歳で関取の座を掴むことができました。ちなみに、現在の四股名は20歳を迎える前の三段目時代で、本場所が4か月ぶりに再開される形で実施された平成23年技量審査場所に、本名に基づいたものから変更されてつけられたものです。その後は幕下の番付で相撲が取ることが多かったですが、昨年の名古屋場所から1年間、関取の座に定着して相撲が取れるほどの実力を身につけることができるようになったり、新十両に上がって2年後に当たる昨年九州場所には十両2枚目まで昇進したりしていることなどから今後は新入幕が期待される力士の1人となっています。