平成生まれ初の新横綱を狙う高安関

高安関のプロフィール

高安関は平成2228日に茨城県土浦市で誕生し、現在27歳です。本名は高安晃なので、本名のまま相撲を取っており、この例で大関まで上がったのは現大鳴戸親方で武蔵川部屋所属だった元大関出島や立浪部屋所属で横綱昇進まで本名の北尾だった第60代横綱双羽黒など数例しかありません。

出典:日本相撲協会公式サイト

高安関のスポーツ経験は主に野球で、元々の俊足と足の大きさなどを活かした形で小学校高学年からリトルリーグに所属し、中堅主として活躍していました。

相撲経験はなく、中学卒業前に部屋見学をしていますが当時は興味がなかったそうです。両親などの勧めから中学卒業後の平成17年春場所に第59代横綱隆の里関が師匠を務める当時の鳴戸部屋に入門して初土俵を踏みました。

高安関は、入門したころから身長180cm、体重120kgの恵まれた体格をしており、これを活かして勝ち星を重ねていき、入門して丸2年後には三段目に昇進し、18歳だった平成20年夏場所には幕下の番付まで上げることができました。

一方で相撲部屋独特の環境に馴染みにくいことなどから、複数回、部屋から脱走したこともありました。このなかには実家まで逃げ帰った例もあったほどです。

このような経験もありましたが、その後も番付を確実に上げていって入門して5年半後の平成22年秋場所で幕下全勝優勝を果たして関取の座をつかみ、十両を負け越すことなく通過し平成23年名古屋場所では21歳で新入幕を果たしました。

入幕後も安定して幕内の土俵で活躍し、入幕2年余りで小結の番付を経験するなど幕内上位として土俵に上がれるようになりました。昨年後半から三役に定着できるようにまで実力が伸び、今年の夏場所後に半年間で通算34勝を収めることができたことなどを評価されて大関に昇進しました。今年の九州場所は先場所途中休場したためカド番として挑むことになります。

愛くるしい表情と男らしい声が人気の秘訣

高安関の特徴としては、全体的に毛深い体をしている所と男らしい声の持ち主であるということです。前者に関してスー女と呼ばれている女性ファンからクマみたいだと話題になりました。また、別の声として「笑顔がかわいい」という評価もあるみたいです。

後者に関しては、毎年2月に行われている福祉大相撲の歌比べの企画で高安関は複数回出場した経験があり、若い年齢には珍しく演歌を歌っていました。その歌声が男らしくカッコいいという評判もあるほど歌がうまいことで有名になっています。

出典: Sports Graphic Number Web相撲春秋(「“偉大なる長兄”の後に続く高安。稀勢の里に寄り添い一気に大関取り!」)

平成生まれ初記録を競って番付を上げていった高安関

高安関が関取の座を掴んだ平成22年九州場所は、もう1人新十両の座を掴んだ力士がいました、それは、元関脇舛田山が当時師匠を務めていた千賀ノ浦部屋所属の舛乃山で、彼は高安関よりも1学年下だったため、当時、平成生まれ初の新十両力士が2人誕生したことで一時話題になりました。この次の新入幕は高安関の方が1場所早く、単独での平成生まれ初の新入幕力士となりました。ちなみに舛乃山は新入幕を果たしてから1年余りたった平成24年九州場所には自己最高位となる西前頭4枚目まで昇進し、幕内上位の番付に乗せることができましたが、取組中に前十字帯などの右膝を痛めたことなどから途中休場や全休を重ねてしまい、現在は三段目の番付で相撲を取っています。

高安関は、新三役も平成生まれ初でしたが、幕内最高優勝や大関昇進の平成生まれ初記録は後から入門してきた、第63代横綱旭富士が師匠を務めている伊勢ヶ濱部屋所属の照ノ富士関に先を越されてしまいました。照ノ富士関は平成311月生まれの25歳で、19歳で入門し4年後には三役の座に定着したのち、23歳だった平成27年夏場所に12勝の成績で幕内最高優勝と場所後の大関昇進を果たした所謂スピード出世力士の1人です。ちなみに照ノ富士関は今年の秋場所で2場所連続途中休場をしたため、この九州場所では関脇に陥落して相撲を取ります。

高安関の家族構成

高安関の家族には両親の他に兄の計3人がいます。このうち母親はフィリピン人であるため、高安関は所謂ハーフに該当します。父親は地元で複数のエスニック料理店を経営した経験の持ち主で、先述した脱走の際に、彼を説得して部屋に戻したり、鳴戸部屋への入門を進めたりするなど、進路に関する面で大きな役割を果たしたといっても良いと思います。最後の脱走の際に、部屋に残しておくようにと部屋の関係者に頭を下げたこともあったほどです。

母親は高安関に対して優しく支えている存在で、彼の大好物を部屋まで届けたという逸話が残っているほどです。母親と父親は丁度一回り年齢が異なっており、父親は現在66歳、母親は現在54歳となっています。

このように高安関は両親からのサポートで支えられていたおかげで関取として活躍できたといっても良いかもしれません。

兄弟子稀勢の里関との繋がりとは

高安関の兄弟子として有名なのが第72代横綱稀勢の里関で、稀勢の里関も高安関と同様、中学卒業後に、当時の鳴戸部屋に入門しました。稀勢の里関の番付は常に高安関よりも上だったため、高安関は三番稽古などの日常での稽古で胸を借りて実力を上げていくことできたと考えられます。特に、鳴戸部屋では田子ノ浦部屋に名前が変わった以降も昨年以前までは部屋の指導方針として出稽古に出ることを禁じていたため、この2人が、より密に稽古を重ね慣れる時間がしっかり取れた形となりました。

この2人が稽古場などで会話を重ねることは少ないとされていますが、相撲部屋の兄弟弟子関係では決して珍しいことではなく、会話が少なくても互いに心を通わせられるものと考えられます。具体例として稀勢の里関が大怪我をしたにもかかわらず、これを堪えて優勝を果たした今年の春場所では支度部屋に控えた高安関が彼を称えて号泣したことが挙げられます。

弱点の克服が横綱への一歩に繋がる

高安関は今年の夏場所後に大関に昇進できました。この要因の1つとして、突き押し相撲の正攻法で攻めていけることに加えて左四つに組んでからの寄りも強みにしている点があります。これらの手法を用いて相手に対して十分に圧力をかけて重心を崩しやすくなるためと考えられます。

ただし、横綱に昇進するためには弱点の克服が必要であり、親方などの指摘点としては腰高で脇が甘い点を例に挙げています。例えば、春日野部屋所属の栃煌山関に対して20%しか勝つことができないのは、栃煌山関が相手の脇に差して取る相撲が上手く、差すことができれば重心を簡単に上にあげて崩すことができるためと考えられます。

まとめ

このように稀勢の里関との稽古などで実力を身につけて大関に昇進した高安関には美声でイケメンという別の一面で人気力士になっている点もあります。腰高などの弱点を克服できれば平成生まれ初の横綱昇進も十分にありうるので、今後が期待される力士の1人です。