ブドウの植物学的考察 “フィロキセラ”には注意せよ
ブドウが命のワイン造り
ビールも日本酒も材料として水を用います。しかしワインの原料はブドウの果実のみです。ホップや麹に匹敵するようなものは有りません。
ブドウが無ければ始まらないワイン造り。大昔は野生のブドウを集めていたのでしょうが、人類が狩猟採集生活を脱して農耕を始めて行くにつれ、ブドウの栽培も試みます。
最初は野生種から良さそうなものを見繕って畑に植えたのでしょう。大粒で良く実がついて、甘くて病気にも強く、かつ育てやすい。随分欲張りますが目指すのはソコです。
ヴィテス・ヴェニフェラ(Vitis Vinifera)
ブドウはブドウ科に属する植物で、多くの仲間を持っていますが、そのうち実をつけるもの全てがブドウ属(Vitis)です。
食用ブドウの品種を大別すると、アメリカ種とヨーロッパ種に分けられます。
アメリカ種はヴィティス・ラブルスカ種(Vitis Labrusca)と呼ばれ、生食用が主な用途で、ワイン加工に回されることはほとんどありません。一方カスピ海沿岸のコーカサス地方原産のヴィティス・ヴィニフェラ種(Vitis Vinifera)は、ワインづくりに最適な種として他を圧倒しています。
この種のどこがそれほど優れているのか?
ヴィニフェラ種は最適な条件で栽培されれば、果実が含んでいる糖分を自身の重さの3分の1にまで凝縮できます。さらに酸味やタンニン、香りの成分のバランスが良く、香り高く上質で保存性の良いワインを作ることが出来ます。小粒で皮や種の占める割合が高いのですが、すぐに痛んで酸っぱくなってしまう危険性は低いのです。
多様な品種
ヴィティス・ヴィニフェラ種には、数百種類の品種があります。ブドウ栽培で肝要なのは、畑の条件に適したブドウを栽培することです。この「畑の条件」と言うのが微妙なもので、同じ地域・同じ地区・同じ村の隣り合った畑であっても、地形が違うだけで異なる味のワインになったりします。
なので「これはどこそこのシャトーの、どこそこの畑で採れた何年物の」などと言う言い方がされるのです。
現在ヴィティス・ヴィニフェラ種は、世界各地の様々な環境の元で栽培されています。
イタリアのヴァッレ・ダオタスタ州では、アルプスの高い山の斜面で。
ポルトガルのコラレスでは、よくこんな場所で実を付けるなと思われる吹きさらしの砂地で。
南米アンデスの、高山病の心配をせねばならない高地で。
宣教師が金鉱探しに夢中の男たちを横目に、せっせと畑を開墾したカリフォルニアで。
入植者が大切に持って来た苗木を植え付けた、南アフリカのケープタウンで。
中央アジアの灼熱のステップで。
「ヴィティス・ヴィニフェラを訪ねる旅」を企画すれば、余裕で世界一周出来ます。
害虫
生命力の強いブドウではありますが、植物である以上害虫は付きます。
“フィロキセラ”と言う耳慣れない名前ですが、日本名は“ブドウネアブラムシ(葡萄根油虫)”名前通りブドウの根に寄生し、餌食となったブドウの木を枯らしてしまうのです。
もともとこの虫は、品種改良のため19世紀後半にアメリカから導入したブドウの樹にくっついて、ヨーロッパへやって来たものでした。ですのでヨーロッパには天敵が見当たらず、繁殖力も強かったので、1920年代にはヨーロッパ全域に広まってしまったのです。
フランス南部のラングドック地方のように、不純物が殆ど無い砂地は被害を免れましたが、それ以外のほぼヨーロッパ全土のブドウ畑がやられてしまいました。
対策、そして失ったもの
「このままではヨーロッパでワインが造れなくなる」危機感にかられた関係者は、殺虫剤を開発して懸命に駆除に努めましたが、上手く行きませんでした。
アメリカからやって来たものなら、アメリカのブドウ樹には耐性があるのではないか?それならばアメリカの台木に、ヨーロッパのブドウ樹を接ぎ木してみてはどうか。それではヨーロッパ本来のブドウが失われてしまうとの声も有りましたが、他に有効な策も有りませんでした。
ブドウ畑を掘り返し、ラブルスカ種の台木に接ぎ木したヴィニフェラ種を、新たに植える方法が採られました。この対策のおかげでヨーロッパブドウは全滅を免れましたが、20世紀初頭の数十年間で、主要なブドウ畑がほぼ完全に植え替えられたのです。
この代償は大きく、フィロキセラ被害以降に作られたワインは、それ以前のものに及ばないとの声も有ります。しかしブドウ畑だけでなく、ヨーロッパのワイン産業全体を救うには、他に方法が無かったのです。
この騒ぎが起こるまでのヨーロッパのブドウ畑は、古代ローマやギリシャ以来続いているものも有りましたが、それらはほんの一部を除いて途絶えてしましました。多くの歴史あるワイナリーも、この騒動の時に所有するブドウ畑と共に消えて行きました。
教訓
この被害に懲りた関係者の間で、ブドウ畑やワインの生産をきちんと管理して行こうとの声が上がります。20世紀の初めに制定された「アペラシオン・ドリジーズ・コントロレ(生産地呼称統制)」により、消費者に以下の項目を保証しようと言うのです。
ブドウの品種・収穫量・栽培法・剪定法・醸造法・熟成法などを明確に規定し、ワインのラベルには生産地の地方名・地区名・村名を記入して、ブランドを守ろうとするものです。
これにより、消費者のより一層の信頼と安心を得ることが出来るようになりました。