聖書に書かれたワイン「これは我が血」

日本の八百万の神々はお神酒を召し上がります。また世界中の古代文明に於いて、祭られた神々の神前にお酒が捧げられるのは普通のことでした。現在でも豊漁を祈って漁場の海に酒を注いだり、山神様に伐採作業の無事を祈って酒を捧げたりは、良く行われる風習です。

しかしワインほど深く宗教、特にキリスト教・ユダヤ教と結びついたお酒は他にありません。ビールと修道院もつながりが有りましたが、それは単に製造しただけの話で、ビールが象徴的な意味を持ったわけではありません。ワインは特別扱いなのです。なにしろ「これは我が血」ですからね。

旧約聖書の中のワイン

旧約聖書には、ブドウ及びブドウ酒と言う言葉が181ヶ所も出て来るのです。

「新しい」「酸っぱい」「甘い」「赤い」「泡立つ」などの形容詞もあれば、「エジプトから携えて来たブドウの木」「質の悪い雑種のブドウ」「麗しい畑、実り多いブドウの木」「枝を鎌で切り、その蔓を取り去り」「好ましい植木を植え他国のブドウの蔓を挿す」と、具体的な栽培方法の描写もあります。

ヨブ記にある「新しいブドウ酒の革袋のように、今にも張り裂けようとしている」との言葉は、後にイエスが言った「古い革袋に新しい酒を入れてはならない」との教えの原形です。

イザヤ書には「ブドウ千株のある、銀千枚に値する地所」「深々とした緑に覆われ、見事なブドウ棚をいくつも並べる果樹園」を手に入れたいと思ったアラムの象牙の宮の王が、持主の農夫ナポーテを殺してしまう物語が語られています。

王が持主を殺してまで欲しく思う、良いブドウ園は、それほど値打ちのあるものとして認識されていたのです。

もっとも旧約聖書では、ワインを手放しに礼賛してはいません。飲み過ぎて泥酔した末の悲劇も描かれ、ワインは人を酔わせ正体を失わせるもの、それだけ魅力のあるものだから気を付けて接するようにとの教えが基調です。

新約聖書の中のワイン

ところがこれが新約聖書になると、かなり論調が変わって来ます。新約聖書で「マタイ」「マルコ」「ルカ」「ヨハネ」の四福音書の中で、ブドウ及びワインと言う言葉が出て来るのは22ヶ所、「ヨハネの黙示録」では12ヶ所、使徒伝や各種手紙の中では酒の単語が出て来るのが7ヶ所と、旧約聖書に比べて大幅に減っています。

ただ出現数は減っていますが、重要性では重い扱いになっているのです。大切な場面で登場するのは、ヨハネ福音書第二章「カナの婚宴」の場面です。ルーブル美術館に収められているヴェロネーゼ作の巨大絵画(縦6.77m、横9.94m)、「カナの婚礼」でも知られている逸話です。

イエスの母マリアもこの婚宴の手伝いに駆り出されていたのですが、母から「ワインが無くなりそうなの」と耳打ちされたイエスは、厩の隅に置いてある6個の大きな水瓶を指して給仕頭に命じます。「水瓶に水を一杯満たしなさい」給仕頭はこの男は何を言い出すのかと思いながらも、命令に従います。

次にイエスはこう命じます。「さあ、それを汲んで料理頭の所へ運びなさい」何も知らぬ料理頭は、運ばれて来た水を舐めてみて感心して花婿に向かって言います。

「たいていの家では最初は良い酒を出すが、酔いが回るにつれて酒の質を落とすものです。だがこの家では後になるほど良い酒が出て来る。見事なもてなしです」

イエス最初の奇跡

「カナの婚宴」に於いて水をワインに換えて見せた、これがイエスが人々の目の前で行った最初の奇跡です。

この後イエスはガリラヤ湖畔に集まった5,000人の腹を、5個のパンを裂いたものと2匹の魚で満たしたり、湖の上を歩いてみせたり、さまざまな病人を癒したりと数々の奇跡を行います。

その中でこの最初の奇跡が教えてくれるのは、ワインには質の良いものと悪いものがあり、人々はそれを承知で使い分けていたこと。そしてこのような饗宴の場でワインが供されるのは普通の事だったことです。

最後の晩餐

聖書に出て来るワインの絡んだ逸話の中で、最も有名なのは「最後の晩餐」でしょう。レオナルド・ダ・ヴィンチ作の、ミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の、食堂の壁画としても有名ですが、こちらも(縦4.2m、横9.1m)とかなりの大きさです。

この席でイエスはパンを取り祝福してこれを裂き「取れ、これは我が肉である」と言って弟子に与えます。次に盃を取り「これはあなた方のために流す私の契約の血である」と言ってこれも弟子に与えます。

この時盃に満たされた液体がワインであるとは書いてありません。しかし続けて言われた言葉、「私の父の国であなた方と共に新しく飲む日まで、私は今後決してブドウの実から絞ったものを飲むことをしない」と有るのを見ても、盃に満たされたものがワインであるのは明白です。

この場面でなぜワインを飲むのが重要事とされるのか?それはイエスの血であるワインを飲むことが、神との新しい契約(つまり新約ですね)を受け入れたことになるからです。これは取りも直さずキリスト教に入信すること、イエスに帰依することを意味します。

“これは我が血”イエスのこの一言が、ワインに特別な地位を与えました。

しかしなぜワインでなければならなかったのか、ビールや蜂蜜酒ではいけなかったのか。ヨーロッパ文明の源とされるギリシャ・ローマ人がワインを好んだから?太陽の果実を絞って醸すワインは、特別なものと思えたから?

聖書の物語が生まれた地では、ワインが一番体に良い一般的な飲み物だったからというのが正解でしょうが、案外ワインのあの美しい紅の色のせいかもしれません。