修道士様はワインがお好き

2019年9月21日

存在感を増すキリスト教

ローマ帝国では数次にわたる迫害の後、AD313年、コンスタンティヌス帝によりミラノ勅令が発せられ、キリスト教は公認されました。380年には、テオドシウス帝のキリスト教ローマ帝国国教宣言があり、392年には、帝国内でのキリスト教以外の信仰が禁止されるまでになります。

496年、メロヴィング朝フランク王国のクロ―ヴィス1世がキリスト教カトリックに改宗、これを皮切りにフランス各地の王たちもぞくぞくと改宗します。

このクロ―ヴィス1世と言う王様がなかなかの傑物で、十幾つの支配地に分かれていたフランク族を統合して開いたのが、メロヴィング朝です。東から攻め寄せて来たアッチラ大王を撃退し、アラマン、ブルグンド、西ゴート族を打ち破っての偉業です。

この時最強の敵として立ちはだかったのがアラマン族です。クロ―ヴィス軍あわやという時、王は敬虔なキリスト教信者であった王妃のすすめに従って、神に祈りを捧げました。すると何という事でしょう、突然戦局が変わり、奇跡的な勝利がもたらされたのです。ローマ帝国に替わってヨーロッパの政治・経済の中心となるフランス、その原形が誕生した瞬間です。

戦いが終わったのち、王は3,000人の部下と共に、フランス大司教聖レミによる洗礼を受けました。この洗礼の儀式の時にワインが使われました。これを機に王もその部下たちもワイン党になったとか。こうしてワインはフランスに於いて、王と教会に公認された飲み物の地位を得ました。

この故事により、シャンパーニュ地方の中心都市であるランスの教会は、歴代フランス王の即位戴冠式を執り行う場所となります。そして後のジャンヌ・ダルクの物語へとつながるのですが、そのお話はまた別の機会に。

修道院とワイン

ギリシャ・ローマ人に愛されたワインは、その領土の拡大と共に、ヨーロッパ各地へと広まっていきます。地中海世界を征服したブドウ栽培は、その後イベリア半島、フランス、ドイツ、中央ヨーロッパ全域の、北緯30度~50度地帯へと浸透を果たします。

寒冷なシャンパーニュ地方、モーゼル川やライン川の切り立った川岸、南チロルの高山地域など、現在では世界でも有数の高級ワインの産地です。そしてこのブドウ栽培の歩みは、キリスト教が広まって行く地域とも重なっていました。ヨーロッパの修道院はビール造りでも大きな役割を果たしましたが、勿論ワインの製造にも貢献しました。なんたってイエス様の「我が血」ですからね。

修道院の生活の中心だったのは、毎日の祈りとつとめ、聖体拝礼の儀式です。この儀式にはワインが必要とされました。新鮮で安全な水がいつでも飲めるわけでは無かったこの時代、その代替え品となるビールやワインは、身分・階級の上下を問わず必需品でした。

修道院は、世の人々を救うと言う社会的使命からも、大量のワインを必要としたのです。なので修道僧たちは、せっせとワイン造りに励みました。そのために必要な広大なブドウ畑は、天国での良い席を確保したいとの思いで、金持ち連中が寄贈したものも多かったのです。

修道院は大地主

中世になると、修道院は良いブドウ畑の大地主になっていました。

ベネディクト会は、ブルゴーニュ地方全域にまたがる広大なブドウ畑を所有していましたが、なかでもジュヴレ・シャンベルタン村とヴォーヌ・ロマネ村の畑は特筆すべきものです。

シトー会(ベネディクト会から分派した修道会、厳格さで有名)は石塀に囲まれたクロ・ド・ヴージュを拓き、クレルヴォー大修道院は、シャンパーニュ地方の広大なブドウ園を所有していました。

ドイツのシュロス・ヨハニスベルクやクロスター・エバーバッハにも、修道院ゆかりの畑があります。

スペインでは、重要な巡礼路カミーノ・デ・サンティアゴ沿いに、良いブドウ畑が点在しています。

ヨーロッパにおけるブドウ栽培やワイン醸造の黎明期、修道院の果たした役割は、ビールにおけるその役割以上に大きかったのです。

ヴィティス・ヴィニフェラ種新世界へ

イベリア半島の西端まで到達したワイン用のブドウ栽培は、やがて大西洋を越え新世界へ到達します。

コロンブスが新大陸への航路を開拓したのは、そこに黄金を始めとする資源を求めると共に、輸出品の市場としての期待を込めてでした。しかし輸出品の一つとして考えられていたワインには問題がありました。その頃の輸送技術ではワインは、熱帯地方を通過する長い船旅に耐えられなかったのです。

これは、ワインを日常の重要な飲み物にしていた入植者のスペイン人にとっても、大問題でした。解決策は、運べないならこちらで作ってしまおうと言うもの。

コンキスタドール(15世紀から17世紀にかけて中南米を開拓・征服し、植民地経営を行ったスペイン人)の1人であったコルテスは、ヌエバ・エスパーニャ(現在のメキシコ)の全ての地主に、ヴィティス・ヴィニフェラ種のブドウ園を拓くよう命じました。

やがてメキシコ高地、ペルー沿岸部の低地、アンデス山脈のすそ野などでも、ブドウ栽培が行われるようになり、それに伴いワイン産業は新大陸に根付きました。

現在では、アルゼンチン、チリ、ウルグアイ、涼しく湿潤なオレゴン州やワシントン州の丘陵地、雪に覆われるカナダのオンタリオ州、そして勿論カリフォルニア州のナパ・ヴァレーとソノマ・ヴァレーなどでブドウは栽培されています。

これらの産地で生産されるワインは新興勢力と言われますが、世界市場におけるその活躍はご承知の通りです。