ワイン地球を席巻する。意外に思える諸国のワイン事情

2019年9月21日

オーストラリアはブドウの処女地だった

大英帝国の崩壊は、植民地であり、英国経済体制に組み込まれていたオーストラリアとニュージーランド、南アフリカのワイン産業を独立させ、その生産と消費を変貌させました。

4万年ほど前から人類が住み着いていたとされるオーストラリアですが、土着種のブドウはありませんでした。18世紀に始まったヨーロッパからの移民たちは、生食用の品種ではなく、ワイン用のヴェニフェラ種を植え付けました。

彼らは自分たちの故郷であるイタリア、ドイツ、スイス、フランス、バルカン半島諸国から、ブドウの苗木と共にワイン醸造法やその文化を持ちこんできました。

この南半球の大陸と地味が合ったのでしょうか、ブドウはうまく根付き、思いもかけない素晴らしいワインが誕生します。すでに19世紀末にはオーストラリアワインは、フランス産の最高級ワインを差し置いて、数々の賞を獲得するまでになったのです。

オーストラリアも新大陸と同じく、伝統に縛られずに済みました。収穫作業の機械化や夜間の収穫も行われ、コルク栓ではなく、スクリューキャップ式の栓も取り入れられました。オーストラリアのワインは、このキャップ式が標準です。

白ワインの原料であるサヴァニャン、アルバリーニョ、赤ワインを造るテンプラニーリョ、ネッビオーロなどが試験的に植えられ、素晴らしい成果を上げています。

ニュージーランド、高品質ブドウに期待

オーストラリアのお隣ニュージーランドでは、初期のブドウ栽培は宣教師によるものでした。初代イギリス総督代理ジェームズ・バズビーは、熱心なワイン党で、自分の土地にブドウ畑を開いてワイン造りを試みました。しかし主にイギリスからやって来た入植者はビール党で、開拓初期の頃ワインは全く流行りませんでした。

ニュージーランドのワイン産業が発展し始めたのは、1960年代半ばで、若手の研究熱心な栽培家が、この地の冷涼な風土に合ったブドウの品種を探し始めたのです。それまでまともなブドウは実らないとされていたニュージーランドが、実はソービニヨン・ブランなどの高品質の栽培に、理想的な環境だと初めて気付かされました。

栽培が難しいピノ・ノワールからも、ブルゴーニュ産に劣らない繊細さと品格を持つワインが造られています。

アパルトヘイトを脱した南アフリカ

アフリカ大陸にあるので、暑いのじゃないかとのイメージが強いのですが、試しに世界地図を広げて見てください。南緯30度の線を辿ってみると、オーストラリアの南部、チリとアルゼンチン、そして南アフリカと、良いワインの産地がずらりと並んでいます。北半球のワイン産地が、北緯30度から50度の間に収まるのと同じなのです。

南アフリカもワインの新興国と思われがちですが、ケープ半島では、17世紀中ごろにはブドウ畑が拓かれていました。その頃開墾された畑からは「コンスタンシア」と呼ばれる、極上の甘口ワインが醸されたのです。フランスやドイツ産のワインにも劣らない、マスカットの香りを漂わせたデザートワインは、ヨーロッパの王侯貴族にこよなく愛されました。

1918年、ワイン醸造業者協同組合連合(KWV)が設立され、その強力な統制のもとで、平均的なワインの質は向上しました。しかし弊害としてワインの均質化が進み、魅力的で独創的なワインは姿を消していきました。

1992年にこの統制が撤廃されると、待ち構えていた500を超す大小のワイナリーが輩出し、個性を持った上質のワインを創出しています。

アパルトヘイトの時代(1948年~94年)、南アフリカは経済制裁の対象となり、世界のワイン市場から締め出されていました。その政策が廃止された今日では、高級かつ高品質で刺激的なバライエタル・ワイン(単一品種のブドウから造られるワイン)の産地として知られています。

ソ連の支配下から逃れた東欧諸国

社会主義国ソビエトの成立は、自国の黒海沿岸地区をワインの一大生産地に押し上げます。強国ソビエトは東欧諸国(ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアなど)を支配下に置き、ワイン生産を国有化しました。この影響で、高品質のワインが一時期姿を消してしまいました。ワインはロシアに供給する物資と見做され、品質追及は国家への反逆とされたのです。

ハンガリーはオーストリア帝国の時代から、西ヨーロッパの経済圏に組み込まれ、高品質のワインを造って来ました。ソ連崩壊後は国を挙げて、ワイン産業の復興に取り組んでいます。トカイ・ワインは昔から知られていますが、「野牛の血」と言う魅力的な名前を持つ濃い赤ワインも有名です。しかしこの国は基本的に白ワインの産出国です。

ブルガリアは旧ソ連時代にも、ワインの輸出に力を入れていました。1950年代に大規模栽培された国際品種(特にカベルネ)は、もともとはソビエト連邦人民向けの大衆ワインでした。これは一時期大成功しましたが、1980年代のゴルバチョフ書記長による、節酒政策で大きな打撃を受けました。その後国営から解放され民営に移ったワイナリーには、多くの外国資本が進出しました。アメリカのロボット産業もやって来ました。2007年にEUに加盟したことにより、輸出も活気づいています。

ユーゴスラビアは優れたワインの生産国でしたが、国内の分裂と内紛のため、一時ワイン産業は壊滅状態に陥り、現在でもまだ立ち直れていません。北部、アドリア沿岸などでは名酒を産出していましたので、早い立ち直りが待たれます。