ビール大国アメリカ。禁酒法の落とした影、頑張れクラフトビール

ビール産業はヨーロッパ移民の手によって

アメリカのビール醸造の歴史は、修道院が先頭を走ったヨーロッパ諸国と異なり、16世紀終わりから17世紀初めにかけて渡って来た移民によって紡がれました。

1620年にはニューヨークに商業的醸造所が設立され、その後17世紀の間に、各地に後続の事業所が開かれます。しかし最初の頃に渡って来たイギリス人植民者は、ビール醸造に関しては目立った足跡を残しませんでした。

大きな貢献を果たしたのは、1830年代以降に大挙して渡って来たドイツ移民です。合わせて800万人にものぼるドイツ移民は、多くのアメリカ大手醸造会社の基礎を築きました。

アメリカビール事情

エバーハート・アンハイザー氏は、1842年にドイツ西部の故郷バート・クロイナツハから、ミズリー州セントルイスへ移住してきました。

最初自分で興した石鹸工場で財を成した彼は、借金を返済できなくなった債務者の醸造所を譲り受け、1876年にはチェコスタイルのビール、バドワイザーの販売を開始します。

2008年にはベルギーのビール会社インベブと合併を果たし、アンハイザー・ブッシュ・インベブ(ABインベブ)となりました。

もう一人1868年にドイツからやって来たアドルフ・クアーズ氏は、コロラド州デンバーに落ち着きます。

すでにドイツで醸造の経験があった彼は、コロラド州ジェファーソンに醸造所を構えました。

クアーズ氏の醸造所は1980年代になると、アメリカ中西部に販路を広げ、やがてコロラド州の醸造所は年間2,000万バレルの生産量を誇るまでになりました。

2002年に南アフリカ醸造所(ASBミラー)に買収され、2008年からは合弁会社ミラークアーズを経営しています。

禁酒法

アメリカのお酒の歴史を語る時、避けて通れないのが禁酒法です。

南北戦争前から始まっていた禁酒運動(temperance movement)ですが、20世紀になるとその動きは急速に活発になります。

背景にはヨーロッパからの、日常的な飲酒に溺れがちな下層階級の移民が増加の一途を辿ったこと。これに対して、キリスト教的道徳を守ろうとするアメリカ保守派の反発がありました。

また第一次世界大戦参戦による、物資を節約し生産性を向上させようとの動きも後押しします。

この戦争はアメリカにとって対ドイツの戦いでもあったため、ビール醸造業に携わることが多かったドイツ系市民に、打撃を与えたいとの側面が有ったことも見逃せません。

メイン州がドライ・ステート(禁酒法実施州)になったのを皮切りに、1850年ごろから運動は次々に各州に広がって行きます。

禁酒の具体的な実施方を定めたヴォルステッド法が、合衆国全体に効力を持つようになった1920年以降、アメリカは禁酒法の時代に入りました。

禁酒法その後

当時アメリカ全土で1,200軒の醸造所が操業していましたが、この時代を生き残るために各社は多角経営に乗り出します。

クアーズ社は、ノンアルコールビールや麦芽乳パウダー(大麦麦芽、小麦、全乳を原料とし、甘味料・製菓材料に使用)に活路を見出し、アンハイザー・ブッシュ社もノンアルコールビールを売り出します。アルコール度数0.5%以下の「ニアビール」なるものも開発・製造されました。

禁酒法は1933年に廃止されましたが、クアーズ社はまさにその瞬間、4月7日の真夜中を待ち構えて、ビール醸造を再開しました。

禁酒法は廃止されましたが、それから3年経った時点での醸造所数は、700軒にまで減ってしまいました。なぜこんなことになったかと言うと、合併・吸収を繰り返し、中小の醸造所は独立を保てなかったのです。

クラフトビールの巻き返し

ABインベブ(バドワイザー)とSABミラー(クアーズ)の2強に、席巻されてしまったかのようなアメリカのビール市場でしたが、ここへ来てアメリカ国民も気付き始めました。「大きいばかりが能じゃ無いな」「いつものヤツばかりでは飽きてしまう」と。

あの広い国土の何処へ行っても同じような顔のビールが出て来るのでは、芸が有りません。

この空気を感じて個性派ビール造りのトップを切ったのは、フリッツ・メイタグと言う資産家です。サンフランシスコのアンカー・ブルーイング・カンパニーが倒産寸前との噂を聞きつけ、1965年に権利の大半を買い取りました。1896年以来の歴史を誇るアンカー・スチーム・ビールは、1971年には瓶入りで売り出され息を吹き返します。

大手に押されて鬱々としていた心ある醸造家たちが、すぐに後に続きました。

1980年から1990年の10年間に醸造所の数は3倍に増加し、現在では1,700軒が稼働しています。

現状

そうは言ってもバドワイザーやミラー・ライトの勢いは強く、現在アメリカで、ビール販売量の内クラフトビールが占めるのは約5%に過ぎません。輸入ビールは13%を占めています。

アメリカのクラフトビール醸造家たちは、主としてアルコール度数が高く、香り豊かなヨーロッパスタイルのビールを目指しています。

研究熱心で新しい試みを恐れない彼らは、時として風変わりなビールも生み出します。

ケンブリッジ・ブルーイング・カンパニーが考え出し、ボストンで経営しているブルーパブで売り出したのは、ワインの名産地のフレンチ・オーク樽で1年間熟成させ、ブドウとアンズを加えたビールだったそうです。