ローマ人とワイン、ワインの道はローマに通ず

2019年9月21日

ギリシャ文明を引き継いだことを誇りにしていたローマは、当然ワインに関する諸々も引き継ぎました。

麦の酒ビールにはあまり関心を示さなかったローマ人ですが、太陽の果実ブドウの実を絞って造るワインは彼らの美意識に合致したのでしょうか、大いに気に入ったようです。

エトルリア

紀元前8世紀ごろ、イタリア半島の中部、現在のトスカーナ州、ウンブリア州、ラツィオ州に当たる部分に、エトルリアと呼ばれる都市国家がありました。そこに住む人々は、ギリシャ人がやって来る以前から、高度なブドウ栽培技術を持っていました。

ワイン造りの技術も確立され、遺跡からは、丘の頂で搾り取ったブドウの果汁が地中の石造りの溝を流れ下って、素焼きの巨大な発酵容器に流れ込む仕組みが、発掘されています。

紀元前3世紀ごろ、エトルリアを支配下に置いたローマは寛容な征服者として振る舞い、エトルリアのワイン製造技術や装置をそのまま引き継ぎました。

ローマへ、ローマへ

紀元前2世紀になると、ブドウはローマの重要な農作物の一つとなり、ワイン造りは利益の大きい産業に成長しました。ローマも巨大帝国への道を歩み出し、経済構造が変わって来ます。領土の拡大により、占領地の産物がローマにもたらされ、ローマの支配権が確立した地方からは、貢物・輸入品として大量のワインがなだれ込んで来ました。

土地の支配形態にも変化が見られ、個人が細々と耕していた畑が貴族や大商人の持ち物となり、大規模農園での集約的耕作となります。紀元後1、2世紀には、ローマ帝国全体の人口は120万人に達し、その繁栄の中心はあのポンペイでした。

商品経済に於いて品物が溢れて来ると、当然そこに格付けが行われます。良い品には箔を付け、より高価に売りつけようと言うわけです。そして当時のローマには、それを買える富裕層が溢れていました。

Unicode

グラン・クリュ(grand cru)

グラン・クリュとは“特別な畑”の意味で、最高のブドウを産出するのです。当時のローマのグラン・クリュは、カンパニア州のファレルヌム、スレンティヌム、ローマ南東アルパノ山地のアルバヌム、アドリア海沿岸のプラエトゥティウム、ヴェローナ北部のラエンティクムなどが挙げられます。

これらの産地のワインには、眼の玉の飛び出すような値段が付けられましたが、惜しげもなく買われて行きました。

ポンペイの酒場(200件以上の店が発掘されている)の壁には値段表が書かれていましたが、

1アスでワインが飲める

2アスで最高のワインが飲める

4アス出せばファレルヌムが飲める

とここでもグラン・クリュは特別扱いです。

「アス」とは、共和政ローマからローマ帝国に至るまで広く流通した硬貨で、初期は青銅貨、後に銅貨となりました。

ローマの饗宴、お料理

美食の極みとも称される「ローマの饗宴」ですが、現代日本人にはあまり食欲の沸かないものも、テーブルに並んでいたようです。

例えばエスカルゴ、これは好まれる方もあるようですが、ローマ人はともかく大きくて太ったモノが好みでした。東京ドームほどの広さの養殖場で、アフリカのモロッコより南の未開地から採って来たモノを、せっせと肥え太らせて食卓に乗せました。

次はヤマネ、日本では天然記念物に指定されているクリクリお目目の可愛い小動物ですが、これも大好物で、当然養殖場を作っています。そこから良さそうな個体を選んで、今度は動けないように大きな瓶に入れ、餌をたっぷり与えて丸々と太らせます。

これって、鵞鳥に無理矢理餌を詰め込むフォアグラ造りと似ていますね。最後は甘いたれをつけて炙り焼きにして食べます。

鯛、穴子、鮪、生牡蠣、平目、烏賊、蛸、雲丹などまともなものも食べていましたが、孔雀の舌、駱駝のかかと、フラミンゴ、イルカなどの料理も並びました。

胡椒が同じ重さの金と取引きされていたころ、美味い不味いは別にして、やたら香辛料を使った料理が贅沢だともてはやされました。あれと同じで手に入れ難いもの、貴重なものをお客に振舞うのがもてなしだったのでしょう。

鰻の蒲焼きもあったようで、魚醤に蜂蜜で甘みを付け、胡椒などの香辛料を効かせたタレを、背開きにした鰻に塗りながらうちわでぱたぱた煽いで炭で焼きました。なかなか本格的ではないですか。その匂いに釣られてお客さんがやって来たとか。

ローマの饗宴、お酒

テーブルには勿論ワインも並びます。それも選りすぐりの極上品が。

グラン・クリュの代表格はファレルヌム・ワインですが、勿論そればかりではありません。この頃にはもう特定のブドウ園のブドウを元に作られた、極上ワインを銘柄ワインとして特別扱いするようになっていました。現在で言う所の「何とかシャトーの」「何とかワイナリーの」ですね。

イタリア最南端のカラブリア、ギリシャの植民地時代からのプーリア、さらにリグーリア、ウンブリア、ヴェローナなど、かの博物学者プリニウスもこれらの産地の傑出したワインに言及しています。

そして最高の品とされたのは、ギリシャ品種のアミネウムと言うブドウから絞られたワインでした。

ローマも帝国末期になるまでは、優れたワインとみなされたのは全て白ワインでした。しかもかなり甘口のものです。強くて極甘のものが珍重され、甘みが足りない時は蜂蜜を足しました。それを貯蔵して置いた雪で薄めて飲んだのです。

暑い夏のローマの昼下がり、雪で割った極甘ワインは、神々の飲み物ネクタルもかくやと思われたことでしょう。