フランス革命による徴兵制と近代教育の起源
日本教育は大きな転換期を迎えています。1979年から40年以上続いた大学受験システムである「共通一次」と「センター試験」が2019年に終わり、2020年から「学力評価テスト(仮称)」が導入される予定です。この教育改革が成功するには、日本は今どういう時代(問題)に直面していて、どういう人材を必要としているのか、というしっかりとした時代認識が必要です。
今回は日本の教育改革を考える上で、そもそも教育とはそれぞれの国でどういった歴史的背景から生まれ、なぜ現在のように国家が税金を投じて子どもたちの面倒を見ることになったのか。今回はフランスの歴史を見ながら考えたいと思います。
フランスにおいて、国が積極的に教育に関わったきっかけはフランス革命です。1789年7月14日、バスティーユ牢獄を民衆が襲撃したことによって始まったフランス革命は、1793年1月21日、フランス国王ルイ16世の処刑(ギロチンによって首を切り落とされました)によって大きな節目を迎えました。フランスは国王のいない共和制の道を選んだのです。
1.学校は兵士を育てる場所だった
ルイ16世の処刑に危機感を抱いたのはフランスの周辺国です。当時ヨーロッパのほとんど国は絶対王政という国王による独裁体制を採用していました。イギリスはすでに清教徒(ピューリタン)革命と名誉革命を成功させ、国王は存在するけれども実質的に政治は国民自ら行う、という立憲君主制を敷いていましたが、イギリス国王はフランス革命がイギリスに影響することを恐れていました。フランス革命はルイ16世の首を切った(処刑した)ように国王の存在を否定するものであり、イギリスにフランス革命の影響が及んだら今度は自分の首が飛ぶかもしれないからです。
そこでイギリスは、国王のいるオーストリアやプロイセンなどの各国と同盟を結び(対仏大同盟)、フランス革命をつぶすためにフランスに攻め込みました。フランス新政府は困りました。革命で混乱していてまともな戦力はありません。そこで考えられたのが成人男子の国民を戦争に参加させること、いわゆる徴兵制です。素人の国民を戦争ができる兵士にするためには、きちんと訓練をしなければなりません。フランスではこの兵士を訓練するための場所が学校になりました。つまり、フランスでは国民を兵士に育てるために学校(教育)が始まったのです。
2.学校では何を教えた?
戦争では上官のしゃべる言葉が理解できなければ、指示も通らず戦えません。日本でも地方による方言があるように、年配の方が話す東北弁は訛りが強く、私たちには全く理解できません。フランスにも地方によって方言があるため、フランス政府は国語(つまり標準語)を学校で徹底的に教えました。フランス人同士が出身地に関係なく円滑にコミュニケーションが取れるようするためです。また「なぜフランスのため戦わなくてはいけないのか」という動機付けが必要になりますが、これは愛国心を植え付けることで解決しようとしました。音楽の時間にフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を子ども達に熱唱させ、徹底的に愛国心を植え付け、戦争へのモチベーションを高めさせました。
3.徴兵制のメリット
徴兵制のメリットは兵士を安く(人件費がかからない)、大量に確保できることです。イギリスなどの国は兵士を給料で雇う傭兵制を採用しており、これには膨大な人件費がかかります。そして徴兵制と傭兵制の決定的な違いは戦争に対するモチベーションの違いです。傭兵はしょせんお金で雇われた身ですので、戦争に負けそうになったら戦場から逃げてしまいます。一方フランス国民は革命によって国民に所有権が認められ、今まで国王のものであった土地が国民一人ひとりの自由に使っていい土地になりました。もしフランスが再び国王の支配する国に逆戻りしたら、せっかく獲得した自分の土地を失ってしまうため、国民の戦争に対するモチベーションは相当なものでした。フランスは圧倒的な軍事力(兵士数)とモチベーションの高さで他の国を圧倒していきました。
4.ナポレオンの歴史的評価
フランス革命による危機から徴兵制を導入し、いち早く軍事・教育改革を成し遂げたフランスはイギリスなどの同盟軍を蹴散らすだけでなく、その後指導者となったナポレオンはヨーロッパ各国を侵略・支配し、一時的にですが大帝国を築きました。
ナポレオンのヨーロッパ侵略に関してですが、ナポレオンがヨーロッパを一時的であれ支配したことで、フランス革命で誕生した「民主主義」というシステムがヨーロッパ全土に輸出され、歴史を大きく前進させたという指摘もあります。そのためナポレオンは侵略者ではないという解釈もありますが、本稿においては、ナポレオン自身にはヨーロッパに民主主義を広めたいというような理念はなく、ナポレオンの行動は領土的野心と自身の権力欲によってなされたものであると解釈して「侵略」という言葉を使わせていただきます。
またナポレオンは戦争の天才と言われています。ただ実際のところは、フランスが他の国に先駆けて徴兵制を導入したことで、ナポレオンは徴兵制を用いた戦い方をいち早く取り入れ、実践したため連戦連勝することができたといわれています。実際にフランス以外の国が徴兵制を取り入れ始めるとナポレオン軍の敗退は続き、ナポレオンも失脚。後のウィーン体制へとつながります。
5.時代の変化に応じた教育改革を
今回はフランスの教育がどういった歴史的背景から生まれたのかを見てきました。フランスの教育は、フランス革命による戦争への必然性から徴兵制が必要になり、その兵士たちを育てるために始まったのが起源です。このフランスの歴史から学ぶことは、教育と時代(歴史)というものは密接につながって影響し合い、教育の目的は時代によって変化し続けるということです。
日本の教育改革なるものを見ると、「ゆとり教育」を取り入れたかと思えば、その検証もままならない内に授業時間を増やすなど、どうもこの国の対応は場当たり的に見えます。そこには「こういう時代だからこそ、こういう人材を育てたい」という国の理念のようなものが見えてきません。
教育とはそれぞれの国家が置かれている状況や時代背景によって、その目的を柔軟に変化させていかなくてはなりません。きちんとした時代認識を持ち、正しい教育改革を行うために、過去の歴史から学ぶことは非常に有効な手段といえるのではないでしょうか。
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