義務教育の起源とブラック企業
前回の「フランス革命による徴兵制と近代教育の起源」では、教育とはどういった歴史的背景から生まれ、なぜ国家が税金を投入して国民を教育する必要があったのかをフランス革命を通じて考えました。では、現代の社会では当たり前になっている「義務教育」はどういった歴史から始まったのか考えたいと思います。義務教育が始まった理由は産業革命にあります。今回は、この産業革命から始まった義務教育の起源を踏まえ、現代において教育は子どもたちに何を伝えなければいけないか考えたいと思います。
1.産業革命の歴史的意義と問題点
人類が生まれてから数百万年、人類は狩猟・採集・漁労といった「獲得経済」によって日々の糧を得ていましたが、1万年前になって初めて「農業」を始めました。人類は常に移動して食料を「獲得」していましたが、農業によって一つの場所に定住しながら食料を「生産」できるようになりました。この「獲得経済から生産経済」への移行のことを「生産革命」といいますが、今回の「産業革命」は「第二次生産革命」と言ってよいほど画期的な出来事でした。生産革命以降1万年以来ずっと「手作業」だったものが、「機械生産」という新しい生産段階に入りました。食料をはじめとするモノを大量生産できるようになり、人類は大量生産されたモノを奪い合うようになります。資本主義の始まりです。
産業革命により、歴史は資本主義という新しい経済システムに突入します。イギリスの牧歌的な街並みは消え去り、都市への人口集中が環境破壊を引き起こし、スラム街を発生させ、治安は悪化し、疫病を流行らせます。産業革命によってイギリスにもたらされた莫大な富は、決して全ての国民に均等に分配されることなく、富を独占する資本家、奴隷のごとく酷使される労働者に階級が二極化しました。
2.義務教育は親による子どもへの収奪を防ぐため
「急激な変化は組織(社会)を破壊する」という側面を持っています。社会が変化するとき、多かれ少なかれ必ずその変化に対応できない人々が現れ、その変化が急激であればあるほど、対応できない人々の割合が増え、それは深刻な社会問題となっていきます。そして、その変化において一番の犠牲者になるのが子ども達です。
国家が自国の子どもをいわば強制的に学校を通わせるようにしたのは、19世紀末のイギリスが最初だといわれています。当時のイギリスは産業革命真っ盛りであり、多くの労働力を必要としました。そのため、工場の現場にはどんな人間であろうと構わず労働者が投入され、なかには子ども(4歳の子どももいたそうです)もいました。下層階級の貧しい親たちは、自分の子どもをためらうことなく工場や炭鉱に送り込み、大人たちよりも長時間にわたり、過酷な労働に従事させました。いわゆる児童労働と呼ばれるものです。現在でも途上国などで問題になっています。
過酷な児童労働の結果として、産業革命で栄えたリヴァプール(サッカークラブで有名で、ビートルズ生誕の土地でもあります)という都市に住む労働者階級の平均寿命が15歳にまで落ち込んだ、というデータをマルクスは『資本論』で明らかにしています。当時のイギリス政府も、さすがにまずいということで国家予算を投じて、どのような階級の子どもたちも一斉に学校に通わせる教育制度を始めました。これが義務教育の始まりといわれ、つまり義務教育制度とは、親や企業による子どもへの収奪を防ぐため(親から子どもを隔離させるため)というなんとも悲しい目的のために始まったのです。親の手元に子どもを置いておくと、親が子どもを自分のために利用してしまう可能性があるためです。
そのため日本国憲法の26条には、親は自分の子どもに「義務教育を受けさせる義務を負う」とあり、27条には「児童は、これを酷使してはならない」という児童労働を禁止する文言が続きます。労働基準法でも15歳以下の労働を禁止しており、こうした児童労働を厳しく取り締まるようになったのは19世紀の産業革命を背景とするものです。
3.教育とは社会の暴力性をきちんと伝えること
現在の教育現場からは、しきりに「社会の役に立つ人材」など心地の良い言葉が並びます。高校では進学実績を競い合い、その大学では「就職内定率100%」などをアピール材料として学生の勧誘を行い、公務員試験の対策講義なるものまで設置しています。まるで大学は職業訓練校として企業の出先機関と化しています。しかし、実際の労働現場はどうでしょうか。上司によるパワハラ、過剰なノルマの押し付け、長時間労働など「ブラック企業」が多く跋扈し、多くの労働者は社会(国)によって酷使され疲れ果てています。中には、そうした企業に声を上げることなく自ら命を絶つ人もいます。
産業革命から私たちが学ぶことは、社会(国)には人間を都合よく酷使しようとする暴力的な側面があるということです。そして、子ども達にはそうした社会の暴力性を正直に伝え、その暴力とどう向き合えばいいのかを教えること、つまりは社会との距離感を適切に保ち、自分を守るための術を習得させることが教育のひとつの目的ではないでしょうか。
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