日露戦争の奇跡とは?

今回は日露戦争について考えていきたいと思います。そもそも、なぜ日露戦争は起きたのでしょうか。日露戦争といえば、「初めて黄色人種が白人に勝利した」とか「アジアの国々に勇気を与え、アジア各国の独立運動に繋がった」など、日本の勝利が強調されますが、そもそも日本はなぜロシアと戦わなければいけなかったのか、その部分がきちんと理解されていない気がします。日本が幸運にも勝利したことで、この戦争の総括がきちんとできていないのが現状です。

日露戦争は絶対と言っていいほど、日本にとって負ける戦争でした。そして負ければ、日本という国は滅亡していたかもしれません。しかし、いくつかの幸運が日本に転がり込んできた結果、日本は勝つことができたのです。そこで今回は、明治維新から日清戦争を経て、日露戦争に突入するまでの歴史の流れを確認し、この過程の中で日本が巡り合った幸運の数々にも触れていきたいと思います。

1.日本はどこから攻められる?

このまま江戸幕府が続いたら日本は欧米列強に植民地にされてしまう。そういった危機から、薩長を中心とした倒幕が成功。大政奉還を経て明治維新を成し遂げ、日本は近代国家の歩みを始めました。しかしだからといって、欧米列強に植民地にされてしまう危険性がなくなったわけではありません。そこで日本政府は、欧米列強はどこから日本に攻めてくるのかを具体的に考えます。浮かび上がったのが3つのルート(①琉球ルート②北海道ルート③朝鮮ルート)です。

①琉球ルートですが、明治政府が出来た頃、今の沖縄は琉球王国という独立国家でした。その琉球が欧米列強に支配されてしまったら、そこに軍事基地を作り、そこから日本に攻めてくる可能性があります。そのため、明治政府は琉球王国を日本に併合することを決めました。それが「琉球処分(1872年)」です。そして1879年、廃藩置県によって現在の沖縄県と呼ばれるようになりました。しかし琉球王国は中国の「冊王体制」に組み込まれているので、中国が黙っているはずがありませんが、当時の中国はアヘン戦争(1840年)から始まったイギリスなどの欧米列強による植民地化が進み、中国を食い物にしていました。琉球を考える余裕などありませんでした。

②北海道ルートですが、今もそうですが、当時も北海道の上にはロシア帝国(ロマノフ朝)がありました。日本とロシアとの間では、当時きちんとした国境が定まっていなかったため、ロシア人の侵入や漁業権の対立などの問題がたびたび発生していました。そのため、ロシアとの国境を明確に定めることによって、ロシアが日本に侵攻してくる危険性を排除しようしました。これが「樺太・千島交換条約(1875年)」です。この条約が現在の北方領土問題の原因となっています。

2.日清戦争が起きた理由とは?

③朝鮮ルートですが、すでに①琉球ルートと②北海道ルートの危険性は排除しましたが、③朝鮮ルートは難航しました。まず他国を相手にすることですし、また朝鮮は中国の「冊法体制」に組み込まれています。子分である朝鮮は何かあればすぐに親分の中国に許可をもらわなくてはいけません。「冊封体制」についての詳細は「中国を知る② 中国の国際関係」をご覧ください。

琉球王国とは違い、朝鮮は目と鼻の先にある地域です。日本が江華島事件(1875年)を起こし、翌年には日朝修好条規を結んで、無理やり朝鮮に開国を要求すると、さすがに中国は日本に抗議しました。こうして朝鮮の支配権は、中国(清)か、それとも日本なのかで争われたのが「日清戦争(1894年)」です。

日本にとって幸運だったのは、中国(清)はボロボロだったことです。日本は明治維新(1868年)を行ってから、まだ30年も経っていません。やっとよちよち歩きしたばかりの赤ん坊のような国です。そんな日本が大国の清に勝てたということは、清はアヘン戦争から続く列強の進出によってヘトヘトな状態だったということです。まともな状態で清と戦争していたら、日本は勝てなかったでしょう。

結果的に日本は中国に圧勝しました。日清戦争に勝利した日本は下関条約で、朝鮮が独立をするため中国の冊法体制から離脱すること認めさせました。これにより朝鮮は「大韓帝国」として独立することになります。独立といっても、実質的には日本による支配です。

しかし朝鮮の支配を狙っている国は日本だけではありませんでした。ロシア帝国です。

3.南下政策とは?

ロシアは寒いため冬は海が凍って港が使えません、ロシアにとって一年中使える不凍港を確保することは長年の課題でした。これを「南下政策」と言います。当時は黒海方面の進出を目指し、トルコ(当時はオスマン帝国)と争ってきました。ロシアとトルコの仲が良くないのは、ロシアが過去に黒海で行った南下政策が原因です。しかし、黒海方面での南下政策はうまくいかなかったため、その矛先を極東方面に切り替えてきました。この時、ロシアが目を付けたのが朝鮮だったのです。日本の新たな敵はロシアになりました。

4.日本は絶体絶命…しかしまたも幸運が

当時の日本は明治維新によって近代化をしたばかりで、すでに死に体であった中国(清)には勝てましたが、大国のロシアには勝てるはずがありません。もしロシアが朝鮮を支配してしまえば、朝鮮を拠点としてロシアは日本を攻めてきます。日本はロシアと戦うしかありませんが、勝てるはずもありません。日本は絶体絶命のピンチでした。

そこに意外な援軍が現れます。イギリスです。すでにイギリスはアヘン戦争などで中国の植民地を十分確保していました。そのタイミングでロシアが朝鮮を確保してしまうと、朝鮮を拠点に中国に進出してくるかもしれません。すでの植民地を持っているイギリスからすれば、ロシアの南下政策による朝鮮支配は邪魔です。1900年に起きた義和団事件(義和団事件については「」を参考にしてください)は列強による八か国共同出兵により鎮圧されましたが、各国が兵士を引き上げる中、ロシアは満州に兵士を残したため、実質的に満州はロシアの植民地になっていました。

こうしたロシアの態度はイギリスを苛立たせました。しかしこの時期、イギリスは別の植民地である南アフリカでの戦争(ボーア戦争)の対応にも苦慮しており、極東にエネルギーを注ぐ余裕がありませんでした。そこで目をつけたのが、イギリスと同じようにロシアの南下政策を快く思っていない日本でした。イギリスは「光栄ある孤立」という長年の外交政策を捨てて、日本と「日英同盟(1902年)」を結び、ロシアの南下政策を防ごうとしました。イギリスは日本が発行する戦時国債を買い、間接的に日本への財政的な援助することになります。

大英帝国であるイギリスが、日本の味方になるという幸運がここでも舞い込んできたのです。

5.日露戦争での幸運

日本はロシアとの戦争を極力避けるよう努力しましたが、ロシアの強硬な姿勢は変わらず、ついに日本は最後通牒を突きつけ、1904年に日露戦争は勃発します。この戦争は様々な幸運が日本に傾いた結果、日本が勝利することができました。

その幸運とは二つあります

一つ目は、日露戦争中にロシア国内においてロシア第一革命が起きたことです。戦艦ポチョムキンの水兵などが革命に呼応し、軍部の一部が政府に反乱を起こすなど、ロシア軍の足並みが揃わない事態が発生しました。ロシア政府は国内の対応に追われてしまいました。

二つ目は、局地戦において日本軍が奇跡的な連戦連勝を続けましたことです。資料によると、あらゆる局面において、天候が日本軍に味方したことが書かれています。日露戦争の勝敗を左右したといわれる日本海海戦では、日本の戦艦からダメ元で放たれた砲弾(主砲)が敵戦艦の指令室に2発命中。日本は形勢を逆転し、東郷平八郎率いる日本海軍は勝利。日露戦争の勝利を大きく引き寄せる「運命の一弾」と呼ばれる奇跡でした。

講和会議は、日本への援助を口実に中国への進出を目論むアメリカ大統領セオドア・ローズヴェルトの仲介により、アメリカのポーツマスで行われました。この会議によって日本は朝鮮の支配権をロシアに認めさせることに成功しました。

6.日露戦争後のロシアと日本

日露戦争前、日本とロシアの立場において圧倒的優位にあったロシアですが、日露戦争後その立場は逆転します。1914年に起きた第一次世界大戦によって疲弊し、1917年にはレーニン率いるボリシェビキによるロシア第二革命によってロマノフ朝は崩壊。ソヴィエト政権が誕生し、世界初の社会主義国家が誕生することになります。日露戦争後、ロシア帝国(ロマノフ朝)は坂道を転がり落ちるように崩壊しました。

一方の日本は列強の仲間入りを果たし、1910年に韓国併合を行って結局は朝鮮を植民地とし、そこを拠点として日本は本格的に中国進出へと乗り出します。満州事変(1931年)、そして日中戦争(1937年)と日本は次々と中国大陸に兵士を動員します。しかし、1941年にはアメリカとの戦争(太平洋戦争)という愚行まで犯してしまいます。中国とアメリカという大国を相手として同時に戦争をしてしまったのです。あまりにも無謀な戦争でした。

繰り返しになりますが、日露戦争は幸運でした。もし負けていれば日本は滅んでいたかもしれません。しかし日露戦争後の日本を見ると、やはり気持ちが舞い上がって、きちんとした客観的な判断が出来ず、自分達の力を過信してしまったと思うしかありません。日露戦争の「幸運」が後の原爆投下、第二次世界大戦の敗北という「不幸」を招いてしまったことも事実です。

歴史を見ていくと、日本が滅亡するピンチは幾度となくありましたが、日本は現在も日本という形をなんとか維持しています。歴史を学ぶと、国家の存続というのは本当に綱渡りなんだと痛感させられる思いがします。

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