平昌オリンピックから考える① オリンピックの歴史

いよいよ2月9日から韓国の平昌(ピョンチャン)で冬季オリンピックが開催されます。

朝鮮半島が緊張する中での開催となりましたが、北朝鮮の選手団がオリンピックに参加することが表明されました。開会式では韓国と北朝鮮の選手団が一緒になって行進し、朝鮮半島の「統一旗」を掲げることも決まりました。また女子アイスホッケーでは、韓国と北朝鮮の合同チームが結成され、オリンピックに出場することが決まりました。しかし国際社会だけでなく韓国国内においても、問題行動を起こし続ける北朝鮮を特別扱いし過ぎではないか、として冷ややかな反応が強くあります。北朝鮮の参加に反対するデモが韓国国内で激しくなっており、開催前から政治色が強い大会になりそうな雰囲気が漂っています。

1.韓国とIOCにとって最も大事なこと

なぜ韓国は北朝鮮にここまで気を使い、IOCはそれを黙認するのでしょうか。

韓国政府にとって一番重要なことは平昌オリンピックを開催し、成功させることです。北朝鮮が核実験やミサイル発射の強行を続ければ、各国政府は自国の選手を守るため、韓国に選手団を派遣することをためらうでしょう。そうなった場合、オリンピックの開催すら危ぶまれることになります。韓国としては北朝鮮の選手を参加させれば、オリンピックを開催している間は、北朝鮮はミサイル発射など変なことはしないだろうという計算があったと思います。

そして、この思いはオリンピックを主催するIOC(国際オリンピック委員会)も同じです。放映権料などによって莫大な利益が生じるオリンピックが中止なんてことになれば、オリンピックのスポンサーになろうとする企業はいなくなってしまいます。韓国は国のメンツのため、IOCはビジネス(利益)のため、北朝鮮のご機嫌を取るしかなかったのです。

平昌オリンピック閉会後、再び朝鮮半島は緊張状態に入ると思われます。そう考えると、オリンピックを開催させるという目先の利益を優先させた韓国とIOCの判断はおそらく間違いだったということになるでしょう。「平和の祭典」のオリンピックが、「戦争の原因」になってしまうかもしれません。

2.そもそもオリンピックとは?

最初から暗い話になってしまいましたが、北朝鮮に関する政治的な記事は「朝鮮半島情勢は第二次世界大戦前夜に似ている?」と「なぜ朝鮮半島では宥和施策が続くのか?」がありますので、そちらを参考にして頂ければと思います。

今回は平昌オリンピックを受けて、オリンピックの歴史を見ていきたいと思います。オリンピックの起源は古代ギリシアで行われた「オリンポスの祭典(古代オリンピック)」です。近代オリンピックは「オリンポスの祭典」を理想のモデルとし「平和の祭典(平和を象徴するイベント」として1896年に始まりました。現在(2018年現在)までに近代オリンピックは、夏季大会は28回、冬季大会は今回の平昌を含めて23回行われ、大会の模様は全世界に配信される世界的なビッグイベントに発展しました。

今回は、まず古代ギリシアで始まった古代オリンピックを振り返りたいと思います。次に近代オリンピックが開催された歴史的な背景に触れ、ナショナリズムに利用された苦難の歴史を振り返り合いと思います。そして最後に、現代のオリンピックが抱える問題点に触れたいと思います。

3.古代オリンピックとは?

古代ギリシアでは「ポリス」と呼ばれる都市国家がギリシア世界に存在しました。ギリシア世界の全盛期、その数は大小で200ぐらいだったと言われています。有名なポリスとしてはアテネやスパルタがあります。ギリシア人は必ずどこかのポリスに属し、自分たちのポリスを守るために、アテネVSスパルタのようにポリスは他のポリスと常に戦争をしていました。

驚くべきは、戦争に参加するのは奴隷ではなく貴族だったことです。貴族にとっての名誉はポリスを守ること、つまり戦争に参加することでした。そのため、古代ギリシアでは戦争は名誉なことであり、古代ギリシア人にとって戦争が行われている状況は普通の状態で、戦争がないことは逆に異常なことでした。

そんなギリシアにおいて、ゼウス神に捧げる儀式(宗教行事)として古代オリンピック(オリンポスの祭典)が始まったとされています。ゼウスとは、ギリシア人にとって全知全能の神であり、多神教を認めるギリシアにおいても絶対的な力を持っていました。この祭典は4年に1度開催され、全ギリシアのポリスから屈強なギリシア人の若者が参加し、スポーツで競い合いました。祭典が開催されている期間、また選手の移動時間などを含めた約3か月は、ポリス間の戦争は一切中止されました。

4.平和とは何か?

こうした背景から私たちはオリンピックを「平和の祭典」と呼びます。しかし、古代ギリシア人にとって戦争のあることが「普通」であり、戦争がないことは異常な事態であったことは先ほど触れました。近代人の私たちは戦争のない状態を平和であると考えます。そのためオリンピックを「平和の祭典」と考えるのは、あくまで近代人である私たちの考え方によるものです。

しかし「平和とは何か?」と改めて考えて見ると、平和とは具体的にどんな状態なのでしょうか。1945年の敗戦から日本は一度も戦争を経験していませんが、厚生労働省の発表によると、2016年の日本の自殺者数は約2万1千人となっています。2016年、シリア内戦による死者数は5万人ですので、日本国内では毎年、内戦に匹敵するほどの人が自殺によって死亡していることになります。日本は本当に平和な国なのでしょうか。「平和」についてはまた別の機会で詳しく触れたいと思います。

5.古代オリンピックの終焉

また暗い話になってしまいました。話を古代オリンピックに戻しましょう。

祭典で競い合う競技は、短距離走や長距離走、円盤投げやレスリングなど今でも馴染みのある種目が数多くありました。女性は参加できませんでした。その理由は宗教上の理由もありますが、参加者は全裸で競技を行ったからではないかとも指摘されています。レスリングでは、対戦相手を戦いにくくさせるため、自分の体全体にオリーブオイルを塗り、滑りやすいようにしたそうです。

オリーブオイルを塗った全裸の男同士のレスリングとは、どういった試合になるのか…あまり想像したくはありません。

古代オリンピックは、古代ギリシアから古代ローマという時代の移り変わりをきっかけとして消滅しました。紀元前146年、ギリシア世界は古代ローマに支配され、徐々にギリシア文化が失われていきます。さらに392年、ローマ帝国のテオドシウス帝が帝国内でキリスト教のみを信仰することを定めました(キリスト教の国教化)。そのため、ゼウス神を讃える宗教儀式であったオリンピックを開催することは困難になり、393年の大会が最後の古代オリンピックとなりました

次回の記事では、近代オリンピックの苦難の歴史に触れ、現代オリンピックの問題点について考えていきたいと思います。

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