中国を知る⑥ 中国の厳しい情報統制(2)

前回の「中国を知る⑤ 中国の厳しい情報統制(1)」はヨーロッパと中国の地理的な要素に触れました。ヨーロッパの農村では革命は起きないことに比べ、中国の農村では高い農業生産力を背景に人口の密集化が進み、民衆同士の情報交換と組織化が容易となります。こういった背景から中国では全国各地で農民反乱が同時発生し、多くの中国王朝が滅亡させられました。

また地理的な要因以外にも王朝交代の大きな要因がありました。それはヨーロッパと中国の権力に対する考え方の違いがあります。今回はこの権力の考え方の違いを見ていきたいと思います。

1.ヨーロッパの絶対王政を支えた「王権神授説」

ウェストファリア条約後に築かれた主権国家体制によって、ヨーロッパは絶対王政の時代に入ります。この絶対王政の正統性を支える根拠として「王権神授説」という考え方があります。これは王の権利は神によって与えられたものである。よって王は神以外の何人にも制限されることはないという理論です。

そのためヨーロッパでは厳格な身分制度が出来上がりました。農民の子どもが王になるということは絶対に不可能でした。身分制度は固定されていたので、農民の子は農民になるしかありませんでした。身分社会とは「職業選択の自由」がないことを意味します。江戸時代の「士農工商」をイメージすると分かりやすいかもしれません。

ヨーロッパで「王権(王になるための権利)」の継承権は世襲制で、親族によって独占されました。ヨーロッパにおいて「個人の所有権を侵害する政府は倒してもよい」という「抵抗権」が理論づけられたのは17世紀になってからです。イギリスのジョン・ロックが名誉革命を正当化するために主張しました。

ロックの主張した理論は、のちのアメリカ合衆国憲法に影響を与えました。また「自分で稼いで手に入れたものは自分のもの」という個人の所有権の在り方を明確にしたことで、現在の資本主義の理論的根拠になっています。

前回の記事「中国を知る⑤ 中国の厳しい情報統制(1)」において、ヨーロッパにおいて貧しい農民などの民衆が革命を起こして成功した事例は、フランス革命まで待たなければならなかったと述べました。

「なぜフランス革命が成功したのか」について、前回の記事では「都市化」に着目して説明させて頂きましたが、それ以外にも革命を成功に導いたある「道具」が存在します。その道具についてはまた別の機会で触れたいと思います。

2.中国の「易姓革命」とは?

ヨーロッパの権力についての在り方を見てきました。次は中国の考え方を見ていきましょう。

中国の歴史観は「易姓(えきせい)革命」と呼ばれます。儒家の孟子が唱えた理論です。

どの時代の「天下(中国)」にも天命を受けた「天子(皇帝)」が必ず一人存在する。その天子(皇帝)だけが天下(中国)を統治する権利を持っている。このような考え方です。

ここで出てくる問題は、天子(皇帝)から別の天子(皇帝)への権力の移り変わりをどう説明すればいいのか、ということです。易姓革命は、この権力の移り変わりを2つの理論で説明します。

地上の支配者である天子(皇帝)は、天命を受けた代行者に過ぎない。天命の意思に基づいて支配しているにも関わらず、世の中が乱れているということは、すなわち天命に反していることを意味する。そうなった場合、天子(皇帝)は自ら進んで位を譲る、または武力をもって倒してもよい。このような理論です。

「天子(皇帝)は自ら進んで位を譲る」というのは、前の皇帝から新しい皇帝に権力が移譲されることを意味します。これを「禅譲(ぜんじょう)」と呼びます。武力をもって倒してもよい天子(皇帝)を倒すことを「放伐(ほうばつ)」と言います。

3.司馬遷の『史記』

前漢の時代に武帝に仕えた司馬遷はこの「易姓革命」の理論をアップデートします。司馬遷がまとめた『史記』によって、現代に繋がる中国の歴史観が作られることになります。

司馬遷は易姓革命の理論的支柱である「天命」に「正統」という観念を付け加えました。漢を建国をした劉邦は農民出身です。身分の低い人間が漢王朝を作り、その子孫が世襲している漢王朝の正統性を保証する理論を、武帝は司馬遷に求めたのです。それはこういう理論です。

「今の皇帝が悪い治世をしているならば、天命(正統)の意思に反しているということになるので、自分たちが打ち倒して、自分が農民という低い身分であっても、自分が天命(正統)を受け継ぎ、皇帝になっていい」という考え方につながりました。

しかし王朝した後も大事な仕事があります。古い王朝を倒して新しい王朝を成立させたあと、自らが天命に選ばれたことの正統性を証明する必要がありました。自分たちの正統性がなくなってしまい権力基盤が揺らいでしまうと、新しい勢力が革命が起こす口実を作ってしまうためです。

こうした背景によって中国の王朝が交代するたびに、新しい王朝は大規模な歴史の編集プロジェクトに着手することになります。目的は「いかに私達の王朝は素晴らしいのか」を強調することによって、自分たちの王朝の正統性を主張するためです。

そのため新しい王朝は、以前の王朝がいかに酷い王朝であったのかを強調します。そして自分たちの王朝にとって都合の悪い部分はなるべく隠蔽しようとします。

4.「中華民国」と「中華人民共和国」

こうした易姓革命に基づく正統の考え方は現代にも繋がっています。

現在、中国は2つあります。辛亥革命(1912年)で誕生した国家は「中華民国」です。現在、中華民国は台湾にあります。現在大陸を支配しているのは、1949年に誕生した「中華人民共和国」です。どちらの中国も、自分達が正統の中国であると主張し、お互いの存在を認めようとしません。この背景には、やはり「易姓革命に基づく正統の考え方」があるからなのです。

こうした中国の歴史観を見てくると、現在の中国政府(ここでは中国共産党について)の国民に対する態度も理解することができると思います。一見すると異常にも見える中国の反日政策や愛国心教育も全て中国国民に対する正統性のアピールなのです。中国共産党にとっての歴史とは、過去の王朝や中華民国政府を徹底的に批判し、中国共産党の正統性を示すためにあるものと言ってよいでしょう。

5.「正統」を守るためには、何でもする

そのため、中国共産党にとって都合の悪い情報はすべて削除されます。インターネットのページは国内のものであれば削除され、国外のものは検索をかけただけで監視対象になるくらい、厳しい検閲システムが施行されているのです。

今月(3月5日)から始まった全国人民代表大会(全人代)ですが、今回の最大の注目点は、国家主席の任期に関する憲法条項の改正です。中国の憲法では、国家主席の任期は独裁化を防ぐために、最大の任期を10年と定められています。

しかし習近平国家主席は、この任期を撤廃しようとしています。中国国内でもこの任期撤廃に関しては批判的な意見が多く、インターネット上ではそうした意見が書き込まれましたが、すぐに検閲が入り、情報の閲覧が不可能になってしまいました。

こうした情報統制にも関わらず、中国国内でおきる暴動に対しては、戦車を投入して鎮圧を図り、隠蔽しようとします。それが天安門事件です。詳しくは前回の記事「中国を知る⑤ 中国の厳しい情報統制(1)」を見て頂けると幸いです。

中国の政治権力は常にその正統性をアピールし続ける必要があります。そうしなければ、今まで繰り返されてきた中国の歴史のように、自らも革命によって葬られてしまうからなのです。

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