初っ切りから関取定着を目指す貴源治関

貴源治関のプロフィール

貴源治関は平成9513日に栃木県小山市で誕生し、現在20歳です。本名は上山賢です。この貴源治という四股名の由来は定かではありませんが、一説として、部屋の名前から「貴」の1字を初めにつけるルールと京都府にある龍神総宮者の、創始者の名前として「源治」を取ってつけられたものとされています。

出典:力士プロフィール – 貴源治 賢 – 日本相撲協会公式サイト

貴源治関は生活拠点が茨城県境町だった少年時代から空手やキックボクシングなど幅広いスポーツ経験を有しており、このうちバスケットボールの実力が高く、中学時代には県の主力選手に選ばれて全国3位の成績をあげるほどの活躍を見せたり、高校進学の際に地元の強豪校からスカウトを受けたりするなどでした。

相撲の経験はありませんでしたが、両親の勧めなどから、中学卒業後の平成25年春場所に平成の大横綱の1人である第65代横綱貴乃花が師匠を務めている貴乃花部屋に入門して初土俵を踏みました。

貴源治関は入門して丸1年で三段目に、そこから丸1年たった平成27年春場所に17歳で幕下にそれぞれ昇進することができ、年齢から考えると早い方に該当するのではないかと思います。そして今年の夏場所で20歳になる直前に関取の座を掴むことができました。一度は跳ね返されてしまいましたが、この九州場所は再び関取に返り咲いて迎える場所となっています。

珍しい双子での初っ切りを1年務めて人気に

貴源治関は先述したように10歳代で関取に昇進したこともあって、童顔が愛らしくてかわいいと一部のファンから人気になっています。彼が人気になった要因の1つとして初っ切りを1年間務めたことが挙げられます。

初っ切りは、巡業などの際に行われるイベントの1つで、力士2人と行司1人がペアになって髷を掴んだり、足で蹴ったりするなどの反則技を複数紹介する意図があるものです。実際は、柄杓で頭をたたくなどのコントやお笑い的要素が強く、会場が笑いに包まれることなどから、巡業でのお楽しみの1つとしても知られています。

貴源治関は幕下時代に、後述する双子の兄とペアになってこれを担当したことで、双子の初っ切り力士という珍しさも加わり、知名度の向上に繋がったと考えられます。

貴源治関が所属している貴乃花部屋の紹介

ここで、貴源治関が所属している貴乃花部屋について紹介したいと思います。貴乃花部屋は文字通り、当時、彼の父親である元大関貴ノ花が師匠を務める藤島部屋に入門し、花のロクサン組の1人として平成1桁時代を中心に大活躍した第65代横綱貴乃花が師匠を務めている部屋です。

当初は藤島部屋でしたが師匠が平成5年に、栃若時代の1人として昭和30年代の土俵を盛り上げた第45代横綱若乃花が師匠を務めていた二子山部屋を吸収する形で名前を継承しました。ちなみに第45代横綱若乃花は貴乃花よりも20歳程度年上ですが、彼の兄であることは有名となっています。

貴乃花が引退したのは平成15年初場所で、この1年後の平成16年初場所後に、この二子山部屋を継承して部屋を構えるようになりました。彼に対しては優勝22回の好成績などを評価されて一代年寄の権利が与えられていたため、部屋の名前が貴乃花部屋に変わって現在に至ります。ちなみに先代だった貴ノ花は平成17年夏場所後に55歳で、初代若乃花として有名な第45代横綱若乃花は平成22年秋場所前に82歳で、それぞれ亡くなっています。

貴乃花部屋には現在、幕内に貴景勝関と貴ノ岩関の2人、十両に貴源治関の計3人の関取が所属し、幕下以下の力士を含めて計9人が所属しています。力士の他にも元幕内光法の音羽山親方と世話人を務めている元幕下の嵐望の2人のOBが後進の指導に当たり、床山1人を加えて少なくとも、14人が共同生活していることになります。このうち、貴ノ岩関は貴乃花部屋で誕生した初めての関取で、これは部屋を作って8年後のことでした。また、昨年名古屋場所前には部屋が元々あった東京都中野区内から両国国技館に近い東京都江東区内に移って新しい環境の元力士たちは日々の稽古を重ねています。

貴源治関の家族構成

貴源治関の家族構成としては両親の他に双子の兄がいます。この兄も現在、貴乃花部屋に所属しています。四股名は貴公俊で、彼も貴源治関と同じく中学まではバスケットボール中心のスポーツ経験を有しており、県の選抜メンバーとして活躍した実績を持っています。

貴公俊も入門してから少しずつ実力を身につけていき、入門して丸2年後には幕下の番付に昇進することができ、現在までその地位に定着して相撲を取っています。今年になってからは15枚目以内の所謂、幕下上位の番付に名が載るようになり、この九州場所では自己最高位に近い西幕下11枚目として相撲を取ります。

この2人は一卵性双生児となっていて区別するのが難しいですが、貴公俊の右の口上にあるホクロで見分けられるようになっています。

突き押しと稽古熱心な精神力で力を身につけた貴源治関

貴源治関は元々、どちらの四つに組んでも寄り切れる力士でしたが、幕下定着が難しかった点や、このタイプの力士は、なまくら四つと呼ばれていて一般的に中途半端になりがちで精進しにくい点などから回しを取らずに突き押しで攻めていく内容に変更しました。

これに変更したことで、190cm近い長身と腕の長さを活かした突っ張りを相手に効率よく与えられるようになり、それから1年半ほどで関取の座を掴むことができました。

また、右膝を脱臼するアクシデントに見舞われたものの、すぐに膝の関節を入れ直して残り稽古メニューを熟すほどの稽古熱心な精神力も貴源治関の持ち味の1つではないかと思います。

十両定着から新入幕を目指して

突き押し中心の内容に変えて実力を伸ばした貴源治関ですが、関取に定着するための課題として、長身ならではの弱点を克服する必要があると指摘する声があります。身長が高いと元々、重心が他の力士よりも高く、貴源治関の場合、攻めている時にその傾向が表れやすく、相手は容易に脇の下に差して攻めることができるようになります。

この点を改良できれば新入幕も夢ではないかもしれません。

まとめ

このように、双子での初っ切り力士として一時話題になった貴源治関は、自身の体格を活かした突き押し相撲を身につけて、この九州場所では関取での勝ち越しを目指すことになります。まだ20歳で若く、今後の伸び代があり期待できる力士の1人です。